top of page

Nigrodhamiga-jātaka(12) ニグローダ鹿

《あらすじ》
 その昔、バーラーナシーにおいて、ブラフマダッタ王が国を統治していたときに、菩薩は鹿の胎に宿って生まれました。彼の身体は大きくて黄金色に輝き、大変美しい姿をしていました。五百頭の群を率いて森に住み、ニグローダ鹿王と呼ばれていました。近くにもやはり五百頭を率いる、サーカ鹿王が住んでおり、彼もまた黄金色の鹿でした。

人々は、「王様。毎日狩のためだけに多くを費やしていては、私達の職業が廃れてしまいます。私達は森から鹿を連れて参りましたので、今からはその肉を召し上がって下さい」とお願いしました。王様は彼等の願いを聞いて、御苑の中の鹿を見渡すと、二匹の黄金色の鹿がいるのに気が付き、その二匹の鹿王には、身の安全を保証してやることにしました。
それ以来、王様や料理人がやって来て、弓矢で鹿を射ては持ち帰る日々が続きましたが、鹿達は弓矢を見る度に死の恐怖に脅かされて、安心して暮らすことが出来ませんでした。菩薩であるニグローダ鹿王はサーカ鹿王を呼んで、「一日は私の群から、次の一日は貴方の群からというように、覚悟を決めた鹿が断頭台に行くようにすれば、傷を負う鹿が最小限にとどまるだろう」と提案し、その後は順番の来た鹿が断頭台に首をかけて横たわるようになりました。

 ある日、サーカ鹿王の群れの中の妊娠した雌鹿に順番が廻って来て、彼女はサーカ鹿王に「猶予を頂けないでしょうか」と懇願しましたが、サーカ鹿王は冷たく拒否しました。自分の群れの主に同情して貰えなかった雌鹿は、菩薩であるニグローダ鹿王のところに行き、このことを訴えました。ニグローダ鹿王は、「よろしい行きなさい、わたしがお前の順番を引き受けて上げよう」と言って、自分が身代わりになって断頭台に行きました。

 王様は「鹿王よ、私は貴方の身の安全を保証してあげたのに、何故断頭台に横たわっているのですか?」と聞きました。鹿王は事情を説明し、「私が作った規則を私自身が破ってしまったら、鹿の群の規律は完全に乱れてしまいます。そこで私自身が彼女の死を引き受けることにしたのです。あなたも王様ですから、お分かりでしょう」と答えました。

王様は、「黄金色の鹿王よ、お立ちなさい、貴方にも彼女にも安全の保証をあげましょう」と言うと、「大王様、私たち二人だけは安全を保証されて、群れの統治ができるのでしょうか?」王は、「では皆の命を保証します。森に帰してあげます」と約束しました。

 鹿王が、「でも、鹿だけが殺されないで森に住むと、他の動物に申し訳ないと思います」と言うと、王は、「自分のことより皆のことを思う君の性格が、誠に素晴らしい。今日から、私の国の全ての生き物の命を、大事に守ってあげましょう。今日から、殺生をやめます」と、約束しました。

 無事子供を産んだ雌鹿は、次の詩を唱えました。
ニグローダにだけ仕えて
サーカの近くに住むな
ニグローダの許で死になさい、
サーカの許で生きるより

 その後、鹿どもが人々の穀類を食べても、人人は安全を保証された鹿を乱暴に追い払うことが出来なくなりました。王様は、「たとえ私が領土を失っても、この約束は破らない」と答えました。

これを知ったニグローダは鹿達を諭し、そして人々には、鹿が入ると困る場所に葉を結びつけて目印にするように言いました。それ以来、どの田にも目印として葉を結びつる風習ができ、そこに立ち入る鹿はいなくなりました。




012 Nigrodhamiga jātaka ニグローダ鹿


【現在の物語】

 この物語は、釈尊が祇園精舎におられたとき、クマーラ・カッサパ長老の母についてお説きになったものです。彼女はラージャガハの大富豪の娘でしたが、過去生で多くの善行を積んだ結果として、欲に溺れた俗世間の生き方に未練がなく、真理を求める気持ちでいました。そこで、何度も両親に出家させて欲しいと頼みましたが、許してもらえず、他家に嫁ぐことにしました。

 ちょうどそのころ、この都で大きな祭りが行なわれ、全市民は、豪華な衣装に身を包んで、祝日を祝っていました。夫は、彼女を誘って出かけようとしましたが、彼女が全く身なりに構わないので、不満に思って、 「どうしてもっと着飾らないのか」と、たずねました。

 彼女は、「三十二種類の汚物でできている身体を飾りたてて、その穢らわしさをごまかしても、意味がないでしょう。汚物と汚物が遊び戯れていることには興味がありません。私にとっては、私の身体だけでなく、あなたの身体も汚物の塊にしか感じられません」 と言いました。夫はこの言葉を聞いて、妻が夫婦生活に全く興味がないことに気が付き、 「俗世間の生き方をそれほどまでに厭う君は、出家するべきではなかったのか。」 と言いました。

 彼女は、 「ずっと出家したいと思い続けてきましたが、両親に反対され願いが叶いませんでした。あなたさえよろしければ、すぐにでも出家したい気持ちです」と答えました。夫は、このままでは両者が不幸になってしまうと思い、彼女に出家を許し、盛大な供養の席を設け、皆の祝福の中で、比丘尼の住所に送り届けました。念願の出家を果たした彼女でしたが、彼女が入った比丘尼の住所は、デーヴァダッタの系統に属するものでした。また、結婚生活は幾日にも満たないものでしたので、このとき彼女はまだ、夫の子を胎内に宿していることを知る由もありませんでした。ところが、日に日に彼女の身体に変化が見られるようになり、比丘尼たちは驚いて、 「あなたは妊娠しているのでは?」 と尋ねました。彼女は、 「私は厳密に戒律を守っておりますので、自分でもどういうことなのかよく分かりません」 と答えました。

 そこで比丘尼たちは、この事件をデーヴァダッタに報告しました。デーヴァダッタは、このことが外部に漏れると自分たちが非難を受け、大損害を被ると考え、 「この女を直ちに追放せよ」 と命じました。彼女は、 「仏教はデーヴァダッタのものではありません。全ての権限はお釈迦さまにあるのですから、私を祇園精舎に住んでおられるお釈迦さまの元へ連れて行ってください」 と、比丘尼たちに懇願しました。

 比丘尼たちは王舎城を発ち、彼女を祇園精舎まで連れて行き、お釈迦さまに事情を説明しました。お釈迦さまは、事を隠すことなく厳密に調べることになさいました。戒律についての第一人者であるウパーリ尊者に、審査会を設立するように命じました。

 そこで、一般市民を代表してコーサラ王、在家信者の男性代表者にアナータピンディカ(給孤独)長者、女性代表にヴィサーカー大信女、出家代表としてウパーリ尊者と、比丘尼の代表者で審議会を行ないました。その結果、彼女が在家信者であるときに妊娠したことと、戒律は犯していなかったことが判明しました。彼女は潔白の身となり、月が満ちると、無事に子供を産みました。

 子育ては修行の障害になるので、王様はその子を養子として引き取り、クマーラ・カッサパ(カッサパ王子)と名づけて王子の資格で養育しました。大変利発なその子は、お釈迦さまの元で出家し、間もなく悟りをひらいて大阿羅漢になりました。その母親の比丘尼も、やがて悟りをひらくことができました。

 ある日、講堂に集まった比丘たちは、「友よ、もしもクマーラ・カッサパ尊者の母が、智慧のないデーヴァダッタの言うがままにされていたら、二人は破滅に陥るところだったが、彼女が智慧と慈悲を備えたお釈迦さまに頼ったお陰で、二人は悟りをひらくことができた」 と話していました。

 そこへお釈迦さまが入ってこられ、何を話していたかを問われたので、比丘たちが一切をお答えしました。そこでお釈迦さまは、 「比丘たちよ、私が彼ら二人を救ったのは今だけのことではない」 と言われて、ニグローダという名で呼ばれた鹿の王の話を説かれました。

【過去の物語】  その昔、バーラーナシーにおいて、ブラフマダッタ王が国を統治していたときに、菩薩は鹿の胎に宿って生まれました。彼の身体は大きくて黄金色に輝き、大変美しい姿をしていました。五百頭の群を率いて森に住み、ニグローダ鹿王と呼ばれていました。近くにもやはり五百頭を率いる、サーカ鹿王が住んでおり、彼もまた黄金色の鹿でした。

 その頃バーラーナシーの王様は鹿狩りに熱心で、人民に職業を休ませて多くの人々を召集してまで、日々狩に出掛けていました。人々は、「こう頻繁に仕事を休ませられては生活に支障をきたす。王様が狩に出なくても、鹿肉を召し上がることが出来るようにできないものか」と考えました。そこで彼等は、あらかじめ御苑の中に鹿の主食である草を植え、飲み水なども準備しておいて、ニグローダやサーカの群を、大きな物音や武器で威嚇して、王様の御苑の中に追い込み、入り口を閉じました。そして、「王様。毎日狩のためだけに多くを費やしていては、私達の職業が廃れてしまいます。私達は森から鹿を連れて参りましたので、今からはその肉を召し上がって下さい」とお願いしました。

 王様は彼等の願いを聞いて、御苑の中の鹿を見渡すと、二匹の黄金色の鹿がいるのに気が付き、その二匹の鹿王には、身の安全を保証してやることにしました。それ以来、王様や料理人がやって来て、弓矢で鹿を射ては持ち帰る日々が続きましたが、鹿達は弓矢を見る度に死の恐怖に脅かされて、安心して暮らすことが出来ませんでした。

 鹿達はこのことを菩薩であるニグローダ鹿王に相談すると、彼はサーカ鹿王を呼んで、「友よ、我々鹿が殺されるのはもはや逃れられないが、せめて弓矢で射られる恐怖を避けるために、犠牲になる鹿の順番を決め、一日は私の群から、次の一日は貴方の群からというように、覚悟を決めた鹿が断頭台に行くようにすれば、傷を負う鹿が最小限にとどまるだろう」と提案しました。サーカ鹿王は、 「ごもっともです」 と賛成して、その後は順番の来た鹿が断頭台に首をかけて横たわるようになりました。

 ある日、サーカ鹿王の群れの中の妊娠した雌鹿に順番が廻って来て、彼女はサーカ鹿王に「私のお腹には子供がおりますので、その子を産んでから当番を受けますから、それまで猶予を頂けないでしょうか」と懇願しましたが、サーカ鹿王は冷たく拒否しました。自分の群れの主に同情して貰えなかった雌鹿は、菩薩であるニグローダ鹿王のところに行き、このことを訴えました。

 ニグローダ鹿王は、「よろしい行きなさい、わたしがお前の順番を引き受けて上げよう」と言って、自分が身代わりになって断頭台に行きました。料理人がそれを見て王様に報告したので、王様は車に乗って断頭台に行き、「鹿王よ、私は貴方の身の安全を保証してあげたのに、何故断頭台に横たわっているのですか?」と聞きました。

 鹿王は事情を説明し、「ある者が受けるべき死の苦しみを、私の意向で他の者に被らせるわけにはいきません。私が作った規則を私自身が破ってしまったら、鹿の群の規律は完全に乱れてしまいます。そこで私自身が彼女の死を引き受けることにしたのです。あなたも王様ですから、お分かりでしょう」と答えました。

 王様は、自分と同じ指導者の立場にあるニグローダ鹿王の立派な態度に感銘を抱き、「黄金色の鹿王よ、私は今まで人間の中でも、それほどの忍辱・慈悲・憐れみの徳を備えた者を見たことがありません。貴方のお陰で私の心は清まりました。お立ちなさい、貴方にも彼女にも安全の保証をあげましょう」と言うと、 「大王様、私たち二人だけは安全を保証されて、群れの統治ができるのでしょうか?」王は、「では皆の命を保証します。森に帰してあげます」と約束しました。鹿王が、「でも、鹿だけが殺されないで森に住むと、他の動物に申し訳ないと思います」と言うと、王は、「自分のことより皆のことを思う君の性格が、誠に素晴らしい。今日から、私の国の全ての生き物の命を、大事に守ってあげましょう。今日から、殺生をやめます」と、約束しました。 無事子供を産んだ雌鹿は、自分の子供がサーカ鹿王と戯れているのを見て、皆の命を助けてくれたニグローダ鹿王に自分の子供を躾て欲しく、次の詩を唱えました。

Nigrodhameva seveyya,

na sākhamupasaṃvase;

Nigrodhasmiṃ mataṃ

seyyo,yañce sākhasmiṃ jīvitanti.

ニグローダにだけ仕えて

サーカの近くに住むな

サーカの許で生きるより

ニグローダの許で死になさい


 その後、鹿どもが人々の穀類を食べても、人人は安全を保証された鹿を乱暴に追い払うことが出来なくなりました。人々は宮廷に集まってこのことを訴えると、王様は、「私は信仰心の故にニグローダ鹿王と約束したのであるから、たとえ私が領土を失っても、この約束は破らない」と答えました。 これを知ったニグローダは鹿達を集め、「これからは人々の穀類を食べて迷惑をかけてはいけない」と諭し、そして人々には、鹿が入ると困る場所に葉を結びつけて目印にするように言いました。

 それ以来、どの田にも目印として葉を結びつる風習ができ、そこに立ち入る鹿はいなくなりました。これは鹿達が、ニグローダ鹿王から教誡を受けたからでした。このように鹿達を教誡しながら寿命を全うし、彼はこの世を去りました。王様もまた、生涯善行為を行なって、やがてこの世を去りました。


【現在の物語と過去の物語のつながり】

 お釈迦さまは物語を終えると四聖諦の説法をされて、「その時のサーカ鹿王はデーヴァダッタ、雌鹿は長老尼で、子鹿はクマーラカッサパ長老、王様はアーナンダで、ニグローダ鹿王こそは私であった」と過去と現在を結びつけられました。


【この物語の教訓】

 同じ価値観を持たない場合は、夫婦生活も円満にはならないでしょう。我慢して一緒にいても、精神的なストレスは多いと思います。互いの価値観が全く違うと気付いた場合は、早い内に別れて、それぞれの人生を歩んだ方が幸福だと思います。それは憎しみの果ての喧嘩別れではなく、互いの気持ちを尊重することです。

 事が起きたら、加害者・被害者、敵・味方、被告・原告、などの対立の立場で争っても、真理は公正に問われるとは限りません。対立型の審判では、「勝ち」と「負け」という二つが成り立ちます。勝者が喜び、敗者が悔しくなります。仏教の審判制度では、たとえ有罪となっても、被告人がその結果に納得し、賛成するようになっています。勝者・敗者ではなく、事実は何なのかという立場で、事が起きたら調べるのです。

 この物語でも人の感情・世間の目などに左右されないように、また、客観的に公正な判断ができるように、お釈迦さまが専門家の審議会を設立なさったのです。 この物語は、人間に全ての生命を守る義務があることを教えています。それぞれの生き物に適切な環境を与えてあげれば、互いに迷惑を掛け合わないで、幸せに生きられることでしょう。人間だけ良ければ、良い訳ではありません。

 また、政治家が正直で約束を守る人格者でなければいけないということも、教えられています。政治というのは、自分のために他を虐める方法ではなく、自分が苦労してでも皆の利益を守ることです。自分の利益だけ考える人が、腐敗者であって、政治家として、指導者にはなれません。



bottom of page