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4. Cullakaseṭṭhi jātaka
チュッラカ豪商

《あらすじ》
 その昔菩薩は長者の家に生まれ、チュッラカ長者と名づけられました。彼は、賢明で有能であり、あらゆる吉凶を見分けられました。ある日のこと、彼は路傍で死んだネズミを見つけ、このように言いました。「能力のある人がこのネズミを取れば、妻を養い事業を営むことができるだろう」と。

そのとき、ある貧しい家の息子が、その長者の言葉を聞き、「この人が、いい加減なことを言うはずはなかろう」と、そのネズミを取って、ある酒屋で猫の餌用に売り渡し、小銭を手に入れました。その小銭で砂糖を入手し、花環作りたちに砂糖のかたまりを与え八カハーパナ(八両)を得ました。

さらに、ある風雨の日に、王家の庭園に大量の枯れた小枝や大枝や木の葉が風のために落ちた場所に行き、「もしこの枯木や葉を私にいただけるのなら、私はあなたに代わってこれらをすべて片づけてあげましょう」と管理人に言いました。彼は、「よろしい、持って行ってくれ」と承諾しました。彼は、子供らの遊び場へ行って砂糖を与えると、子供たちにすべての枯木や葉をすぐさま片づけさせ、庭園の門のところに山積みさせました。ちょうどそのとき、王家の陶芸家が陶器を焼くための薪を探していました。彼は木を売って十六両と、瓶などの五個の陶器を手に入れました。

彼は、所持金が二十四両になったとき、五百人の草刈り人たちに飲み水を供給しました。その後、彼は「明日、この都に馬の仲買人が五百頭の馬を連れてやって来るだろう」と教えてもらいました。彼はその言葉を聞くと、草刈り人たちに、「今日、私にひとつずつ草束をください。そして、私が草を売らないうちは、自分の草を売らないでください」と頼みました。彼らは、承知して、五百の草束を運んできて、彼の家に積んで置きました。馬の仲買人は都じゅうで馬の草を入手できなかったので、彼に千両を渡してその草を買い取りました。

それから数日たって、彼は、「港に大きな船がやって来た」と聴きました。彼は、八両で、あらゆる装備のついた豪奢な車を借りてきて、威風堂々と船着き場に赴きました。船を買収するための誓約として指輪を一つ船主に渡しました。

後から百人の商人たちが来て各自、千両を出して彼と一緒に船の所有者になり、さらに各自、もう千両ずつ出して彼に所有権を放棄させ、品物を自分らの所有にしました。

彼は、こうして二十万両を獲得してバーラーナシーに帰り、「恩に報いるのは当然だ」と、十万両を持ってチュッラカ長者のもとへ行きました。チュッラカ長者は彼に、「君は何をしてこの財産を獲得しましたか」とたずねました。

彼は、「あなたが話された方法にもとづいて、ちょうど四ヵ月の間に獲得したのです」と、死んだネズミのことから始めてすべての出来事を語りました。

チュッラカ大長者は、彼の言葉を聞いて、「このような若者を他人にとられてはなるまい」と思い、年ごろの自分の娘を与え、自分の後継ぎとして、全資産の所有者としました。彼はチュッラカ長者の死後、その都における億万長者の地位を得ました。また、菩薩であるチュッラカ長者は、業に従って生まれかわって行きました。

4. Cullakaseṭṭhi jātakaチュッラカ豪商

【現在の物語】

この物語は、釈尊がラージャガハ近郊のジーヴァカのマンゴー林に滞在しておられたときに、チュッラパンタカ長老について語られたものです。 この場合、まずチュッラパンタカの出生について語らねばなりません。


伝えるところによると、ラージャガハの長者の娘が、自分の下男とねんごろになり、「他の者が私たちのこのふるまいを知るかもしれない」と恐れて、このように言いました。「私たちはこの場所に住むことはできません。もし、私の両親がこの過ちを知るようなことがあれば、私を切り刻んでしまうでしょう。他国へ行って暮らすことにしましょうよ。」そして手持ちの大事なものを持って表の門を出て、「どこでもよいから他の者に知られない場所に行って暮らしましょう」と、二人は出て行きました。


彼らが、ある場所で一緒に暮らしていくうちに、彼女のおなかに子が宿りました。彼女は臨月が近づいたので、夫と相談しました。「私のおなかの子は、もう間もなく生まれます。知人や親戚のいない場所でお産をするのは、私たち二人にとってはとてもつらいことです。家に帰りましょうよ。」しかし彼は、「もし今私が行けば、命がない」と考えて、「今日は行く、明日は行く」と言いながら、一日また一日と空しく過ごしていました。


彼女は思案しました、「このバカ者は、自分が犯した過ちを恐れて思いきって行くことができないのだ。世の中で両親というのは絶対に我が子を心配するもの、この人が行こうが行くまいが、私は行くことにしよう」と。彼女は彼が家から出かけているあいだに、家財道具を整理し、自分の実家に行くことを隣の家に住む人々に告げて旅路につきました。


さて、その男は家に戻っても彼女が見えないので、近所の人たちにたずね、「実家に行きましたよ」と聞き、急いで後を追い、途中で追いつきました。ちょうどそこで彼女は出産していました。彼は、「子どもはどうなの?」とたずねました。「あなた、男の子が生まれたのよ。」「さあ、私たちはどうしたらよいだろう。」「お産のために、私たちは実家に行こうとしたのに、途中で生まれてしまったのだから、あちらへ行ったって何になりましょう。引き返すことにしましょう」と言って、二人は心をあわせて引き返しました。そして、その子供には、道路で生まれたということで、パンタカ(旅人)という名をつけました。


ほどなくして、彼女に別の子が宿りましたが、すべて前と同じ次第になりました。その子供も道路で生まれたことから、初めに生まれたほうをマハーパンタカ(マハーは、大という意味です)という名にして、次の子にはチュッラパンタカ(チュッラは、小という意味です)という名をつけました。彼らは、二人の子供を連れて自分たちの住む所に戻りました。


彼らがそこで暮らしていたとき、幼いマハーパンタカは、他の子供たちが「おじさん」とか「おじいさん」とか「おばあさん」と言っているのを聞いて、母親にたずねました。「お母さん、よその子供たちは『おじさん』とか『おじいさん』とか『おばあさん』とか言っているよ。僕たちには親戚はいないの。」「そうよ坊や、ここにはおまえたちの親戚はいないのよ。でもラージャガハの都には、お金持の長者であるおまえたちのおじいさんがいます。そこには、おまえたちの親戚が沢山いますよ。」 「お母さん、どうしてそこへ行かないの。」


彼女は、自分が行かない理由を息子に話しましたが、息子たちが繰り返しそのことを話すので、夫に言いました。「この子供らは私をとても困らせるのよ。両親は私たちを見ても怒って肉まで食べるようなことをするはずはないわ。さあ、子供らにおじいさんの家を見せてやりましょう。」「私は顔を合わせることはできないが、おまえをそこへ連れて行ってやろう。」「けっこうよ、あなた。どんなふうにしてでも、子供らにおじいさんの家を見せてやればよろしいのよ。」二人は子供たちを連れて、やがてラージャガハに着き、都の門のところにある一家屋に宿をとり、子供の母親は、二人の子供を連れて戻って来たことを両親にとりつがせました。


両親はそのことづてを聞くと、「輪廻の世界にいる私たちに息子や娘がいないわけはない。だが、彼らは私たちに大きな罪を犯したから、彼らを私たちの目の届くところにおくことはできない。これだけの財産を持って二人は安穏な場所へ行って住めばよい。しかし子供たちはこちらへ連れてきてくれ」と言いました。


長者の娘は、両親から送られた財産を受け取り、子供たちを、やって来た使いの者たちの手に渡して送り出しました。それから、子供たちは祖父の家で成長しました。彼らのうちで、チュッラパンタカは幼すぎましたが、マハーパンタカのほうは祖父と一緒に十力具者(お釈迦さま)の法話を聞きに行きました。彼はつねにお釈迦さまの面前で教えを聞いているうちに、出家することに心が傾いていきました。


彼は祖父に言いました。「もしおじいさんたちが承知してくれるなら、ぼくは出家したいのだけれど。」「願ってもないことだよ。全世界の人が出家することよりも、わしらにとってはおまえ一人が出家するほうがめでたいことなのだ。おまえ、もしできると思うなら出家しなさい」と承知して、お釈迦さまのもとへ一緒に出かけました。


お釈迦さまは言われました。「長者よ、この子供はそなたの何にあたるのか。」「はい、尊師よ、この子供は私の孫でございまして、お釈迦さまのもとで『自分は出家したい』と申しました」と答えました。


お釈迦さまは一人の長老に、「この子供を出家させよ」と命じられました。その長老は、彼に髪の毛、身体の毛、爪、歯、皮膚という五つの観察を説いて出家させました。 彼は多くのブッダの教えを習得し、成年になると比丘戒を受け、比丘になりました。比丘として受戒した彼は、徹底的に、専心して修習し、阿羅漢の境地に到達しました。彼は瞑想の喜悦と、解脱の安穏とを享受しつつ、日々を送りながら考えるのでした。「いったい、この喜悦と安穏をチュッラパンタカに与えることができるだろうか」と。


そこで、祖父の長者のところへ行き、「大長者よ、もしあなたが承知してくださるならば、私はチュッラパンタカを出家させたいのですが」と言いました。長者は、「尊師よ、出家させてください」と言って承知しました。そこで長老マハーパンタカは、幼いチュッラパンタカに沙弥出家を授けて、十戒を堅く守らせました。


沙弥のチュッラパンタカは、出家はしたけれども、愚鈍でありました。そのため、美しく慕わしく香る紅蓮華が暁に綻びるような太陽が大空に輝くような釈尊をご覧になれというこの一つの詩句を四ヵ月かけても習得することができませんでした。


実は彼は、昔カッサパという正覚者の時代にも出家して、賢い人でありましたが、ある一人の愚鈍な比丘がお経を習うのに苦戦しているのを見て、嘲笑しました。彼に嘲笑されたその比丘は、恥じて落ち込みました。それからお経を習得することをやめてしまいました。その業によって、彼は今出家したけれども愚鈍になったのです。


一偈の前半を習って、後半に移るとき、前半を忘れてしまいます。彼がこれだけの詩句を習得しようと努力しているあいだに、四ヵ月もの日々を費やしてしまいました。


そこで、マハーパンタカが彼に言いました。「チュッラパンタカよ、おまえはこの教えを全うすることができない。四ヵ月も費やしたのに詩句一つも習得できない。そんなおまえが出家としての修行をどうして達成することができよう。寺を出なさい」と、放逐しました。チュッラパンタカは、ブッダの教えを敬愛していたので、在家に戻ることを欲しませんでした。


そのとき、マハーパンタカはお布施の采配の担当を一任されていました。ジーヴァカ・コーマーラバッチャが香や花や多くの供物を持って自分のマンゴーの林へ出かけ、お釈迦さまに供養して教えを聞き、座から立って十力具者(お釈迦さま)を礼拝してから、マハーパンタカに近づいて、「尊師よ、お釈迦さまのもとには、どれくらいの比丘がおりますか」とたずねました。「五百人ばかりです。」「尊師よ、明日、お釈迦さまを初めとする五百人の比丘たちをお連れして、私たちの住居で供養をお受けください。」


「ウパーサカ(男性在家信者)よ、チュッラパンタカは愚鈍で、修行を達成できない。彼を除いた、残りの者に対する招待をお受けいたします」と長老は言いました。それを聞いてチュッラパンタカは考えました。「長老は、これだけ多くの比丘の招待を受けておりながら、私を除外して受けた。きっと私の兄には、私に対する思いやりがなくなったのだろう。今さら出家でいても、私にとって何になろう。在家に戻って、布施などの善行為を行ないながら生きることにしよう。」彼は、「翌日早朝に、私は還俗します」と決めたのです。


お釈迦さまは、明け方に世間を観察されるとき、この様子を発見され、先まわりして、チュッラパンタカの出口を遮ろうと門のところを経行しながら待っておられました。チュッラパンタカは建物から出ると、お釈迦さまに出会ったので、近づいて挨拶をしました。すると、お釈迦さまは彼に対して、「チュッラパンタカよ、そなたは今時分にどこへ行くのか」と言われました。 「尊師よ、兄が私を放逐しました。私は還俗するために行くのです。」


「チュッラパンタカよ、そなたは私を頼りに出家したのだ。兄に放逐されたのなら、どうして私のもとへ来なかったのだ。君が在家に戻って何になろう。私のもとにいなさい」と言われ、チュッラパンタカを連れて行き、仏殿の前に坐らせて、「チュッラパンタカよ、東の方に向かってこの布きれを『垢とり、垢とり』と言って擦りながら、この場所にいなさい」と、神通力で作り出した清潔な布きれを渡しました。


そして釈尊は時間になったので、比丘サンガにとりまかれてジーヴァカの家に行き、用意の座に坐られました。


チュッラパンタカのほうは太陽を仰ぎつつ、その布きれに、「垢とり、垢とり」と言って擦りながら坐っていました。その布きれは彼が擦り続けているうちに汚れてしまいました。そこで彼は考えました。「この布きれはとても清潔でした。しかし、私の身体に触れたことで、以前の清潔さを捨ててこのように汚れてしまった。変わったのだ。実に、作られたものは無常なのだ」と。このことが、諸行の消滅を観察する、ヴィパッサナー実践となったのです。


お釈迦さまは、チュッラパンタカの心がヴィパッサナー実践に移行したということを察知されて、「チュッラパンタカよ、この布きれが汚れて垢に染まったことを気にする必要はありません。実に、君の心の内には、貪欲などの垢がある。それらを取り除きなさい」と言われて、光明を放ち、あたかも面前に坐っているかのように姿を現わして、つぎのような詩句を唱えられました。


垢とは塵に非ず 貪欲こそが垢なり

垢とは貪欲の同義語である

比丘はこの垢を捨てて

無垢の教えに安住する


垢とは塵に非ず 瞋恚こそが垢なり

垢とは瞋恚の同義語である

比丘はこの垢を捨てて

無垢の教えに安住する


垢とは塵に非ず 無知こそが垢なり

垢とは無知の同義語である

比丘はこの垢を捨てて

無垢の教えに安住する


詩句がおわると、チュッラパンタカは、特別な能力までも具わった大阿羅漢の境地に到達しました。その特別な能力は、三蔵経の教えの理解でもあります。


実は、彼はある前生に国王であったとき、都城を廻っていた折、額から汗が出たので、清潔な布で額を拭ったところ、布が汚れてしまいました。彼は、「私の身体に触れたことで、以前の清潔さを捨ててこのように汚れてしまった。変わったのだ。実に、作られたものは無常なのだ」と、無常観を体得しました。このようなわけで、彼には「垢とり」というのが一番適合したのです。


ところで、ジーヴァカ・コーマーラバッチャは、十力具者にお食事前の手洗い水を差し出しました。お釈迦さまは、「ジーヴァカよ、精舎には比丘たちがまだいるのではないか」と、手で鉢を覆われました。マハーパンタカ長老は、「尊師よ、精舎には比丘たちはおりません」と申しあげました。


お釈迦さまは、「ジーヴァカよ、いるかもしれませんよ」と言われました。ジーヴァカは、「それでは、おまえ、出かけて行きなさい。精舎に比丘たちがいるかいないかを調べてきなさい」と男を遣わしました。


その瞬間に、チュッラパンタカは、「私の兄は『精舎に比丘たちはいない』と言ったが、精舎に比丘たちのいることを彼に見せつけてやろう」と、マンゴーの林全体に神通で比丘たちをあふれさせました。ある比丘たちは、衣服の仕事を行ない、ある者たちは染色の仕事を、ある者たちは誦経をするというぐあいに、互いに異なった千人の比丘を現出させました。


その男は、精舎に多くの比丘たちがいるのを見て引き返し、「だんなさま、マンゴーの林全体が比丘たちで満ちあふれております」とジーヴァカに報告しました。一方、チュッラパンタカ長老はその場で、この詩句を唱えました。


我が身を千体も化作して

心地良きマンゴー林に

パンタカが坐している

食事の時を告げられるまで


そこで、お釈迦さまはその男に、「精舎へ行って『如来がチュッラパンタカを呼んでいる』と言いなさい」と言われました。彼は出かけてそのように言ったところ、「私がチュッラパンタカです」「私がチュッラパンタカです」と千人の比丘が一斉に声を上げました。


その男は帰って来て、「尊師、皆がチュッラパンタカというそうです」と申しあげました。「では、そなたは行って、『私がチュッラパンタカです』と最初に名乗った者の手をつかまえなさい。残りの者たちは消えうせてしまうでしょう。」彼はその通りにしました。すると、千人もいた比丘たちはたちまち消えうせました。 長老チュッラパンタカは、出向いた男と一緒に行きました。


お釈迦さまは食事が終わると、「ジーヴァカよ、チュッラパンタカの鉢をとりなさい (※注)。彼は、そなたに説法するでしょう」と言われました。ジーヴァカはそのようにしました。長老は咆哮する若いライオンのように、三蔵経典に基づいて説法しました。


お釈迦さまは座から立ちあがって、比丘サンガにとりまかれて精舎に行かれました。そして比丘たちの務めがすむと、座から立ちあがり、居室の前に立って、比丘たちに助言を授けました。さらに瞑想を指導されてから居室に入り、右脇を下にして(獅子臥形という)床に就かれました。

さて、夕刻になると、講堂に比丘たちがあちこちから参集して、あたかも褐色の毛布を張り巡らしたように居並び、ブッダの威徳について話を始めました。「友よ、マハーパンタカは、チュッラパンタカの気質を知らないで、四ヵ月かかっても一つの詩句を習得することができない、この者は愚鈍だ……と言って、精舎から追い出した。ところが、正覚者は、この上ない法の王であられ、ほんの半日のあいだに、彼に『無碍解』(特別な能力までも具わった大阿羅漢の境地)を授け、彼は、『無碍解』によって三蔵経典に精通するようになった。ああ、諸仏の御力はまことに偉大なものだ」と。


そのとき、世尊は講堂でこの話が始まったのを知られ、「今こそ私は行くべきだ」と、臥床から起きあがられました。濃い赤褐色の二重の衣を下に着け、稲妻のように輝く腰帯を結び、赤褐色の上衣をまとい、芳香室(お釈迦さまの居室は「芳香室」と呼びます)から出られました。ライオンの如く、雄々しく堂々とした歩調で、講堂に行かれました。そして、飾りたてた堂の中央の、立派に備えられた見事な座にあがられました。六色の光明を放ち、あたかも海の底までも照らしつつユガンダラの山頂に昇った朝日のように、座の中央に坐られました。 正覚者が来られただけで、比丘サンガは、話を中断して沈黙しました。


お釈迦さまは、優しく慈しみの心で比丘たちをご覧になり、「この会衆はまことに立派だ。一人として無作法に手を動かしたり、足を動かしたり、咳ばらいや、くしゃみをする者がいない。この者たちはすべてブッダを尊重して敬意を抱き、ブッダの威光に畏敬の念を持ち、たとえ私が生涯話さずに坐っていても、先んじて話を切り出して語ることはないであろう。話を始める機会は私が承知すべきことだ。私がまず話をすることにしよう」と、妙なる神々しい声で比丘たちに告げました。


「比丘たちよ、今どのような話をしていたのか。君たちが中断した話はどのようなものであったのか」と問われました。


「尊師、私たちは、禁止されている卑しい話をしていたのではありません。世尊のすぐれた威徳を賞讃しながら坐っていたのです。『友よ、マハーパンタカは、チュッラパンタカの気質を知らないで、四ヵ月かかっても一つの詩句を習得することができない、この者は愚鈍だ……と言って、精舎から追い出した。ところが、正覚者は、この上ない法の王であられ、ほんの半日のあいだに、彼に『無碍解』を授け、彼は、『無碍解』によって三蔵経典に精通するようになった。ああ、諸仏の御力はまことに偉大なものだ』と話をしていました。」


お釈迦さまは比丘たちの話を聞かれ、「比丘らよ、チュッラパンタカは今、私によって、もろもろの教えのなかでも大いなる教えを得たが、前生でも、私によって、もろもろの財産のなかでも大いなる財産を獲得したのだ」と言われました。比丘たちは、そのわけを明らかにされるよう世尊に懇請しました。世尊は、過去の生涯の隠れた経緯を説き明かされました。

【過去の物語】

その昔カーシ王国のバーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は長者の家に生まれ、成長して長者の地位を得て、チュッラカ(小)長者と名づけられました。彼は、賢明で有能であり、あらゆる吉凶を見分けられました。


ある日のこと、彼は王に仕えに行く途中で、路傍で死んだネズミを見つけ、その瞬間の星廻りを読んで、このように言いました。「能力のある人がこのネズミを取れば、妻を養い事業を営むことができるだろう」と。


そのとき、ある貧しい家の息子チュッランテーヴァーシカ(チュッラカ長者の教えを受けた弟子、という意味)が、その長者の言葉を聞き、「この人が、いい加減なことを言うはずはなかろう」と、そのネズミを取って、ある酒屋で猫の餌用に売り渡し、小銭を手に入れました。 その小銭で砂糖を入手し、水瓶に飲み水を入れて持ちました。彼は森からやって来る花環作りたちに出会って、少量ずつ砂糖のかたまりを与え一杓の水も与えました。彼らはお返しに、めいめい一つかみの花をくれました。彼はその花の代価で翌日も砂糖を手に入れ、水瓶を持って花園へ行きました。その日、花環作りたちは半分摘み残された花の茂みを彼に与えて行きました。彼は、まもなくこのような方法で八カハーパナ(八両)を得ました。


さらに、ある風雨の日に、王家の庭園に大量の枯れた小枝や大枝や木の葉が風のために落ちたことがありました。庭園の管理人は、これをどう処分したらよいのかわかりませんでした。彼はその場に行き、「もしこの枯木や葉を私にいただけるのなら、私はあなたに代わってこれらをすべて片づけてあげましょう」と管理人に言いました。彼は、「よろしい、持って行ってくれ」と承諾しました。 チュッランテーヴァーシカは、子供らの遊び場へ行って砂糖を与えると、子供たちにすべての枯木や葉をすぐさま片づけさせ、庭園の門のところに山積みさせました。ちょうどそのとき、王家の陶芸家が王家の人々の陶器を焼くための薪を探していました。陶芸家は庭園の門のところでそれらを見つけ、彼の手から買いとりました。その日、チュッランテーヴァーシカは木を売って十六両と、瓶などの五個の陶器を手に入れました。


彼は、所持金が二十四両になったとき、「妙案がある」と都の門からほど遠からぬ場所に水瓶を一個据え、五百人の草刈り人たちに飲み水を供給しました。彼らは、「あんたは私たちに大変親切にしてくれた。あんたのために何をしてあげたらいいだろう」と訊きました。彼は、「私に何か事が起きたら、手伝ってください」と答えました。 その後、彼はあちらこちらと動き廻っているうちに、陸路の商人や水路の商人と親しくなりました。陸路の商人は彼に、「明日、この都に馬の仲買人が五百頭の馬を連れてやって来るだろう」と教えました。彼はその言葉を聞くと、草刈り人たちに、「今日、私にひとつずつ草束をください。そして、私が草を売らないうちは、自分の草を売らないでください」と頼みました。彼らは、「いいとも」と承知して、五百の草束を運んできて、彼の家に積んで置きました。馬の仲買人は都じゅうで馬の草を入手できなかったので、彼に千両を渡してその草を買い取りました。


それから数日たって、水路の商人である友人が彼に、「港に大きな船がやって来た」と告げました。彼は、妙案が浮かんで、八両で、あらゆる装備のついた豪奢な車を借りてきて、威風堂々と船着き場に赴きました。船を買収するための誓約として指輪を一つ船主に渡すと、遠からぬ場所に天幕を張らせて坐りました。そして従者たちに、「外から商人がやって来た場合には、三人の門番を通じて知らせなさい」と命じました。「船が着いた」ということを聞いて、バーラーナシーから百人の商人たちが、「品物を手に入れよう」とやって来ました。だが彼らは、「あなたがたは品物を得ることはできない。某所の大商人が、すでに買収する契約をしてしまった」という話を聞いて、彼のもとへやって来ました。従者たちは前もって注意されていた通り、三人の門番を通じて、彼らのやって来たことを知らせました。その百人の商人たちは各自、千両を出して彼と一緒に船の所有者になり、さらに各自、もう千両ずつ出して彼に所有権を放棄させ、品物を自分らの所有にしました。


 チュッランテーヴァーシカは、こうして二十万両を獲得してバーラーナシーに帰り、「恩に報いるのは当然だ」と、十万両を持ってチュッラカ長者のもとへ行きました。 すると、長者は彼に、「君は何をしてこの財産を獲得しましたか」とたずねました。彼は、「あなたが話された方法にもとづいて、ちょうど四ヵ月の間に獲得したのです」と、死んだネズミのことから始めてすべての出来事を語りました。チュッラカ大長者は、彼の言葉を聞いて、「このような若者を他人にとられてはなるまい」と思い、年ごろの自分の娘を与え、自分の後継ぎとして、全資産の所有者としました。彼は長者の死後、その都における億万長者の地位を得ました。また、菩薩であるチュッラカ長者は、業に従って生まれかわって行きました。 【現在の物語と過去の物語のつながり】 正覚者は、この説法をされてから、次の詩句を唱えられました。

4. Appakenapi medhāvī,

pābhatena vicakkhaṇo;

Samuṭṭhāpeti attānaṃ, aṇuṃ aggiṃva sandhamanti.

才能ある賢者は

資金がわずかでも

見事に身をたてる

微かな火種を吹き起こすように


こうして、お釈迦さまは、「比丘らよ、チュッラパンタカは今、私によって、私の教えのなかで最高の法を得たが、前世でも、私によって、財産のなかでも巨万の冨を獲得したのだ」と言われました。 このように二つの出来事を語られると、過去を現在にあてはめられ、「そのときのチュッランテーヴァーシカはチュッラパンタカであり、チュッラカ大長者は実に私であった」と言われて、説法を終えられました。


【この物語の教訓】

⑴ 子供は、甘えたい放題親に甘える。わがままも言いたい放題です。親に逆らうことになったときも、やりたい放題で容赦しないのです。しかし親は一貫して子供のことを心配するものです。子供の幸福を願うのです。子供には親の気持ちが全然理解できないという事実は、誠に悲しいことです。 親に反抗するのは勝手で構わないが、親に再び顔を合わせられないほどに逆らってはならないと思います。


⑵ 指導する方法さえ間違えなければ、誰もダメな人間になりません。


⑶(※注) 在家信者さんたちは、釈尊とその弟子たちに御布施の法要を競って行いました。しかしその機会は、なかなか得られるものではありません。釈尊は、翌日の接待の申し出しかお受けにならないのです。明後日、来週、来月などの約束は絶対なさらない。「明日、御布施を致したいので、家にいらしていただけませんか」と頼まなくてはいけないのです。そうなると、一人の接待しか受けられません。 たとえ貧乏な人でも、誰より先に釈尊にお願いすることができれば、その人の接待を受ける。その次に国王が来て頼んでも、断るのです。


アナータピンディカ長者、ヴィサーカー夫人、ジーヴァカ医師などは預流果の悟りに達していて、仏教におけるしきたり、習慣に詳しかったので、他の人よりも釈尊に食事の法要をするチャンスを得られました。しかし釈尊は、より大勢の人々に御布施の功徳を与えるために個人の接待を最小限にして、多く托鉢に出られたのです。


食事の法要が終わったら、必ず信者さんたちに説法をなさいます。それは、いただいた食事の施しに対する、仏陀からの法施なのです。説法の内容はその人の機根に応じて変わりますが、一般的には、御布施によってどれほど徳を積んだか、その結果としてどのように幸福になるかを説明されます。また、回向することによって先祖供養もさせます。信者が喜ぶという意味と、回向という意味も合わせて、食後の説法はパーリ語でanumodanāと言います。


この説法は、釈尊かサーリプッタ尊者などの大弟子たちが行うのです。信者さんが特定の比丘の説法を希望する場合、その比丘の鉢を預かります。他の比丘たちは帰られますが、この比丘は説法をしてから鉢を返してもらうのです。


⑷ この世ではダメな人間など、存在しません。それは、仏教が人々に対して示す姿勢なのです。仏教の前では、全ての人間は、本来幸福に満たされている、能力に溢れているものなのです。いかなる人でも「ダメな人間だ」と、捨ててはならないのです。人にどれほどの能力が秘められているのかなど、そんなに簡単に分かるものではないのです。


しかし、実際の世界では、成功する人も失敗する人も中途半端な人も、ありふれています。これを正確に表現するならば、「成功する人の数は、極めて少ない」という言い方になるのです。それは運命でしょうか? 諦めるべきでしょうか? 違います。方法の問題です。 自分に適した方法を用いない限り、秘められた才能は発揮されないのです。


私たちは、同じ手段で、同じ方法で、全ての人々を育てようとしているのです。これが、大失敗の元です。教育の場でも、落ちこぼれが出てくるのは、決してその子供たちの頭が悪いからではありません。その子供たちに既成の教育方法が合わなかっただけです。自分の能力も充分発揮できていない社会人には、各々の能力を充分発揮させるような教育システムは作れないのです。


教育を受けることに向いていない人にも、幸福になれる別な道があるはずです。それを発見できないから、この世は失敗者で溢れているのです。 釈尊は「善逝」、「調御丈夫」と呼ばれています。それは、釈尊が具備されていた、各々の人の秘められた能力を発揮させ導くことができるという、この上ない能力を示す称号なのです。


釈尊が遺された教えも、社会のあらゆる人々が幸福になるために、解脱を得るために教示されたものです。あなたに適した教示も、経典の中に必ずあるのです。それを発見してみましょう。人生も成功するし、解脱も得られると思います。人は、賢者の話に耳を傾けるべきなのです。


【記事の作成にあたっては、日本テーラワーダ仏教協会ホームページ「法話と解説 ジャータカ物語」のスマナサーラ長老によるジャータカの説法を使用させて頂きました。】No.51(『ヴィパッサナー通信』2004年3号)チュッラカ長者の話①Cullakaseṭṭhi jātaka(No.4)https://j-theravada.com/jataka/jataka051/


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