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16. Tipallatthamiga-jātaka
三様の姿態をとる鹿

《あらすじ》
 むかし、菩薩は、鹿の群れを従えて、森に住んでいました。かれの妹の鹿が自分の息子に、「猟師をだます鹿のわざ」を学ばせてくださいと頼んだ。その子は、伯父である菩薩のもとに行って《鹿のわざ》を学んだ。かれはある日、森を歩きまわっていて罠にかかったが。菩薩は妹に「心配しなくてもいいよ。あの子は、《鹿のわざ》をよく体得したから、いまに、おまえのところへ笑いながら帰って来るだろう」と言いました。
 その子鹿は、罠にかかっても、もがかず、地面に脇腹をつけたまま死んだふりをしてました。猟師が来て、腹を手でたたき、「朝早く、かかったものだろう。腐りかけている」と、かれにかかった縄を解いて、「いまここで、こいつの皮をはぎ、肉を持って行くことにしよう」と、疑いもせず、枝や木の葉を取り始めました。子鹿は起きあがり、四つ足で立つと、からだをブルっと震わせ、瞬く間に母のもとへ戻りました。

16. Tipallatthamiga-jātaka三様の姿態をとる鹿

【現在の物語】

 これは、師がコーサンビーのバダリカ園に滞在しておられたとき、修学に意欲的なラーフラ長老について語られたものである。

 あるとき師は、アーラヴィーの都に近いアッガーラヴァ霊廟に滞在しておられたが、多数の男性・女性の在俗信者と修行僧が僧院へ聞法のため出かけてきた。聞法は日中に行なわれていたが、時がたつにつれて、女性の在俗信者と修行僧は行かなくなり、男性の修行僧と在俗信者だけになったので、それからは、夜中に聞法が行なわれるようになった。

 聞法がおわると、長老の修行僧たちは、各自の住居へ帰った。若い〔修行僧〕たちは、集会所で在俗信者たちと一緒に寝た。かれらが眠りにつくと、ある者たちはグウグウ高いびきをかき、歯ぎしりをしながら寝てしまった。ある者たちは、わずかなあいだ眠るだけで起き出し、この異様なありさまを見て、世尊に報告した。世尊は「修行僧が、完全な戒をたもっていない者とともに同宿するならば、パーチッティヤ(波逸提)の罪である」という戒律の条項を制定してから、コーサンビーへ赴かれた。そこで、修行僧たちは、尊者ラーフラに言った。「きみ、ラーフラよ、世尊は、〔このような〕 戒律の条項を制定された。いまやきみは、自分の住居を見つけたまえ」

 ところで、以前なら、この修行僧たちは、世尊にたいする尊敬と、かの尊者〔ラーフラ〕が修学に意欲的であることから、かれが自分たちの住居へ来ると、たいへん快く迎え入れ、小さな臥床を用意したり、枕にするための衣を与えたりしたものであった。だが、その日は戒律の条項を犯すことへの恐れから、住居すら与えなかった。

 賢明なラーフラは、わたしの父であるからといって、〈十の力をもつ人〉の〔ところへ〕、あるいはわたしの和尚(おしょう)であるからといって、〈法の将軍〉(サーリプッタ) の[ところへ〕、あるいはわたしの阿闍梨(あじゃり)であるからといって、マハーモッガッラーナの〔ところへ〕、あるいはわたしの小父であるからといって、アーナンダ長老のところへ行ったりはせず、〈十の力をもつ人〉の便所に、あたかも梵天の宮殿へ入りでもするかのように入って、住みついた。

 もろもろの仏の便所は、扉の締まりがよく、床土には香が塗りこめられ、香の環や花の環が置いてあり、夜通し灯火がともっているものであるが、賢明なラーフラは、その小部屋のこうした偉観のために、そこへ住むようになったのではなく、修行僧たちに「住居を見つけよ」と言われたので、その教誠を尊重し、修学に意欲的であることから、そこに住むようになったのである。

 時折、修行僧たちは、かの尊者〔ラーフラ〕が遠くからやって来るのを見つけると、かれを試すために、手ぼうきやごみ取りを外へ投げ出しておいた。そして、かれが来たときに、「きみ、これを捨てたのはだれだろう」とたずね、そのときだれかが、「この道を通ったのは、ラーフラですよ」と言うと、かの尊者〔ラーフラ〕は、「尊師がたよ、わたしにその覚えはございません」とは言わず、それを片づけて、「尊師がたよ、わたしをお許しください」と詫びてから去るのであった。このように、かれは修学に意欲的であり、まさにその修学に意欲的であることのために、そこに住むようになったのである。

 さて、師は夜明け前に便所の入口に立ち、咳払いをされた。かの尊者〔ラーフラ〕も咳払いをした。「そこにいるのはだれか」 「わたしはラーフラです」と出て行って、あいさつをした。「ラーフラよ、なぜそなたは、ここに寝ているのか」 「住居がないからでございます。尊師よ、以前は、修行僧の方々は、わたしを快く迎え入れてくださいましたが、最近は、ご自分たちが〔パーチッティヤの〕罪にふれることを恐れて、住居を与えてくださらないのです。そこでわたしは、ここなら他の方々の邪魔にならない場所だ、というわけで、ここに寝ていたのです」

 そのとき、世尊は、「修行僧らは、ラーフラさえも、このように見捨てているとすれば、他の良家の息子たちを出家させたら、どのように扱うのであろうか」と、教えにたいする懸念が生じた。そこで、早朝に修行僧たちを集めさせ、〈法の将 軍〉にたずねられた。「サーリブッタよ、そなたは、ラーフラが今日どこに住んでいたか知っているか」 「尊師よ、存じません」「サーリブッタよ、ラーフラは今日便所に住んでいた。サーリブッタよ、そなたたちは、ラーフラをこのように見捨てているならば、他の良家の息子たちを出家させたとき、どのように扱うつもりか。このようなことならば、この教えのもとで出家した者は、落ち着いてはいないであろう。今後、完全な戒をたもっていない者たちについては、一両日は自分たちのもとに住まわせ、三日目にはその者たちの住居を定めた後、外に住まわせるようにしなさい」と補則を作って、ふたたび戒律の条項を制定された。

 そのころ、法堂で一緒に坐っていた修行僧たちは、ラーフラの徳行について話をしていた。 「友らよ、見なさい。実にこのラーフラは修学の意欲を持っている人です。『自分の住居を見つけよ』と言われても、『わたしは〈十の力をもつ人〉の息子です。あなたがたはどなたですか、あなたがたこそ出て行くがよい』と言って、修行僧のだれかと対立するようなこともなく、便所に住んでいたのだ」

 かれらが、このように話をしていたとき、師が法堂へ来られ、飾られた座に着くと、「修行僧らよ、そなたたちは、いまどのような話のために一緒に坐っているのか」と言われた。「尊師よ、ラーフラの修学に意欲的であることについて話していたのです。他の話ではございません」師は、「修行僧らよ、ラーフラが修学に意欲的なのは、いまだけのことではなく、前世で畜生の胎内に生を享けたときにも、やはり修学に意欲的であった」と言って、過去のことを話された。

【過去の物語】

 むかし、ラージャガハ〔の都〕で、あるマガダ王が国を治めていた。そのとき、菩薩は、鹿の胎内に生を享け、鹿の群れを従えて、森に住んでいた。さて、かれの妹〔の鹿〕が自分の息子を連れて来て、「お兄さん、この〔あなたの〕甥に、《鹿のわざ》を学ばせてください」と頼んだ。菩薩は、「いいとも」と承諾して、「さあ、おまえ、これこれの時刻に来て、学ぶのだよ」と言った。その子は、伯父に言われた時刻を無視せず、その〔伯父の〕もとに行って《鹿のわざ》を学んだ。かれはある日、森を歩きまわっていて罠にかかり、そのため悲鳴をあげた。鹿の群れは逃げ帰って、「あなたの息子が罠にかかった」と、その母に知らせた。かの女は兄のところへ行き、「お兄さん、〔あなたの〕甥は、《鹿のわざ》を学んだのですか」とたずねた。菩薩は、「おまえは、息子に何か災難があるかと、心配しなくてもよい。あの子は、《鹿のわざ》をよく体得したから、いまに、おまえのところへ笑いながら帰って来るだろう」と言って、つぎのような詩をとなえた。

16. ‘‘Migaṃ tipallatthamanekamāyaṃ,

  aṭṭhakkhuraṃ aḍḍharattāpapāyiṃ;

  Ekena sotena chamāssasanto,

  chahi kalāhitibhoti bhāgineyyo’’ti.

  三つの姿態ある鹿に、無数の幻術ある〔鹿〕に、

  八つの蹄をもち真夜中に水を飲む〔鹿〕に、〔甥を仕立て上げた〕。

  地に〔伏して〕一つの〔鼻〕孔で出息しながら、

  甥は、六つの術策によって〔猟師を〕たぶらかす。

 このように、菩薩は、甥が《鹿のわざ》を立派に習得したことを示して、妹を安心させた。その子 鹿は、罠にかかっても、もがかず、地面に脇腹をつけたまま足をのばして横たわり、足のあたりをひづめでたたき、土くれや草を打ち砕いた。そして、糞尿を放ち、頭を倒し、舌をたらし、からだを唾液でぬらし、空気を入れて腹をふくらませ、眼をひっくり返し、下になった鼻孔で呼吸して、上になった鼻孔では息を止め、からだ全体を硬直させて、死んだふりをして見せた。青蠅がかれに群がり、あちらこちらにカラスがとまった。猟師が来て、腹を手でたたき、「朝早く、かかったものだろう。腐りかけている」と、かれにかかった縄を解いて、「いまここで、こいつの皮をはぎ、肉を持って行くことにしよう」と、疑いもせず、枝や木の葉を取り始めた。子鹿は起きあがり、四つ足で立つと、からだをうち震わせ、首をのばし、大風に吹きちぎられた雲のように、迅速に母のもとへ戻った。

【現在の物語と過去の物語のつながり】

 師は、「修行僧らよ。ラーフラが修学に意欲的であったのは、いまだけのことではなく、前世でも修学に意欲的であった」と、この説法を取りあげ、連結をとって、〔過去の〕前生を〔現在に〕あてはめられた。「そのときの甥の子鹿はラーフラであり、母はウッパラヴァンナーであり、そして、伯父の鹿は実にわたくしであった」と。

【この物語の教訓】

 あそぶことは楽しいものです。遊んでいると時がたっても気づきもしません。その反対に、勉強というものは、簡単に好きになるものではありません。人間にとって役に立つ必要不可欠なものは、なんであろうとも、たいていややこしくて難しい。人生をだめにしてしまうものなら、楽しくてしょうがなくて、やみつきになるのです。しかし、自分に甘くしていたら、どんな落とし穴に落ちてしまうか、わかったものではないのです。ですから、好きか、きらいかはさておき、真剣に勉強に取り組んだほうが安全なのです。ときどき、「なんだってこんなくだらないことを勉強しなくてはアカンのか」と、正直、思うこともあります。「これってなんの役に立つというのか」と優間を抱くこともあります。この物語にはそれらに対するアドバイスが入っています。

 それから、別な疑問も出てきます。人って何年間勉強すればよいのでしょうか? 中卒までなら九年です。高卒までなら十二年です。短大にでも入ったら十四年かかります。ふつうの大学までなら十六年です。医学部に入ったら十八年になります。大学院にも行きたいと思ったら、さらに時間がかかります。適当なところで勉強をやめて社長になったら、仕事の勉強もあります。勉強にかかる時間を年数で言うのはむずかしいのです。人は死ぬまで勉強するべきです。「これだけ知っておけば人生にはじゅうぶんだ」と、量を決めることはできません。「生涯、学習だ」「生涯、人格の向上だ」「人は生涯をかけて進化するべき存在なのだ」。このように決めておきましょう。この呪文で、学ぶことはとても楽しいことに変身します。 【記事の作成にあたっては、藤田宏達訳『ジャータカ全集1』(春秋社)1984年、及び、藤本竜子文『スマナサーラ長老と読むお釈迦様の物語「ジャータカ」』(サンガ)2014年を使用させて頂きました。】

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