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096 Telapatta jātakaテーラパッタ

《あらすじ》
むかしむかし、バーラーナシーという国に、ブラフマダッタ王という王さまがいました。その王さまの末っ子として、菩薩(ぼさつ)という王子が生まれました。王子にはなんと百人ものお兄さんがいました。
王子は大きくなると、「こんなに兄さんが多いのに、ぼくはこの国で自分の領地をもてるのだろうか」と心配になりました。

独覚ブッダとの出会い
ある日、お城に“ひとりで悟りをひらいた聖者・独覚ブッダ”が来て、王子はそのお世話をしました。食事が終わったあと、王子は思い切って相談しました。
「先生、私はこの国で領地を得られるでしょうか」
独覚ブッダは言いました。
「この国ではむずかしいでしょう。でも、七日以内にタッカシラーという町に行けば、領地を得られます。ただし、途中には恐ろしい女夜叉(やしゃ)が住む森があります。夜叉は天女のように美しく化けて、男たちをだまして食べてしまうのです。
五つの感覚(見る・聞く・におう・味わう・触れる)をしっかり守れば、通り抜けられます。」
王子は決意し、お守りの砂と糸をもらって旅に出る準備をしました。

五人の家来と旅立ち
王子には五人の家来がいました。王子は「危険だから来てはいけない」と言いましたが、家来たちは「王子さまと一緒なら大丈夫です」とついてきました。
六人はタッカシラーを目指して森へ入りました。

夜叉の森での出来事
森には、男を誘惑するために美しく化けた女夜叉たちが待ちかまえていました。
① 美しい見た目に弱い家来
豪華な家から「休んでいきませんか」と声がかかり、美人に弱い家来は心を奪われてしまい、王子の忠告を聞かずに家へ入り、夜叉に食べられてしまいました。
② 美しい歌声に弱い家来
次に夜叉たちは楽器と歌で誘惑しました。歌好きの家来は足が止まり、王子の忠告をふりきって家に入り、食べられてしまいました。
③ 香りに弱い家来
夜叉たちは香りの店を作り、天の香りをただよわせました。香り好きの家来は誘惑に負け、店に入り、食べられてしまいました。
④ 食べ物に弱い家来
次は豪華な料理店。おいしい匂いに負けた家来は店に入り、食べられてしまいました。
⑤ 触れごこち・美しい肌に弱い家来
最後の家来は、天女のように化けた夜叉に腕をからめられ、誘惑に負けて家に入り、食べられてしまいました。

王子、ひとりで進む
とうとう王子はひとりになりましたが、心を乱さず森を抜けて進みました。
すると一人の夜叉が「どうしてもあの男を食べてやる」と、美しい女性に化けて王子を追いかけました。
道ゆく人々は、美女が王子を追う姿を見て「どうして奥さんを無視するのですか」と王子を責めました。夜叉は泣きまねをしたり、妊婦に化けたり、赤ちゃんを抱いたりして人々をだましました。
王子は「この女は夜叉です」と言いましたが、誰も信じませんでした。

タッカシラーに到着
やっとタッカシラーに着いた王子は、空き家に入り、お守りの砂と糸で身を守りました。夜叉は家に入れず、外で立ちつくしました。
そこへタッカシラーの王さまが通りかかり、美しい夜叉を見て心を奪われ、后(きさき)にしてしまいました。

夜叉、王をだます
夜叉は泣きまねをして王さまから城の権力をもらい、夜になると仲間を呼んで王さまを殺し、城の人々や動物まですべて食べてしまいました。
朝になると城はもぬけの殻。人々は「王子の言ったことは本当だった」と気づきました。

王子、国王になる
人々は「夜叉にだまされず、五つの感覚を守りぬいたあの王子こそふさわしい」と考え、王子に「どうか王になってください」と頼みました。
王子は承諾し、タッカシラーの王となり、正しく国を治めました。

096 Telapatta jātakaテーラパッタ


【現在の物語】

ある時、シャカムニブッダはスンバ国のデーサカという町の近くの森におられ、弟子たちに次の話を語られました。


「比丘らよ、国で評判の絶世の美女がいて、多くの人々が集まっているとする。美女は魅惑的に歌い、踊り、人集りは増える一方で、その場はものすごく混み合っている。そこにある男がいる。男は『生きていきたい、死にたくない、安楽でありたい、苦を免れたい』と願っている。ところがある事情で、『油をいっぱいに満たした鉢を持って、この群衆の中を歩け。おまえの後ろから刀を抜いた者がついて行き、たとえ一滴でも油をこぼしたら頭を斬り落とすぞ』と脅されているのだ。比丘らよ、その男は油で満たされた鉢を持ち、何の注意もせずに歩くことがあるだろうか。」


「いいえ、尊師。男は必死の注意を払わずには歩かないでしょう。」


「比丘らよ、これは修行のたとえ話です。『油を一滴もこぼさないように』とは、身体に関する気づき(サティ)のたとえです。あなた方は、身体に関する気づきを、そのように修行し、完成させなければならない。修行者は、油で満杯の鉢を一滴もこぼさないように注意深く運ぶ男のように、必死で気づきを保ち続け、修行を完成するのです。」


「尊師、この男のように、絶世の美人を見ることもなく、大勢の群衆の中を、油で満杯の鉢を一滴もこぼさずに運ぶというのは、とても難しいことだと思います。」


「比丘らよ、それは難しくはない。むしろ簡単なのです。なぜならば、男の後ろには剣を抜いた者が付き従い、彼を狙っているからです。そのように脅されるのであれば、気づきながら行くことは難しくないのです。


その昔、賢者は自ら精進して気づき(サティ)を捨てずに五官(眼耳鼻舌身)を制御し、天女のように美しく化けた夜叉(鬼神)にも惑わされず、王位についたことがあった。これこそ真に難しいことなのです」と。


そしてお釈迦さまは、次のような過去の話をされました。


【過去の物語】

 昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は王子として生まれました。菩薩には百人もの兄弟があり、彼は末っ子でした。成長した菩薩は、「こんなに多くの兄さんたちがいる私に、この国で領土を得ることができるだろうか」という疑問をもちました。ある日、王様のお城で、独覚ブッダ(独りで悟った聖者)に食事を供養することになりました。菩薩は自分の疑問を智慧者である独覚ブッダに相談しようと思い、お城に行って独覚ブッダの足を洗い、お食事のお世話をしました。独覚ブッダが食事を終えられると、きちんと礼をして、傍らに坐りました。そして、「先生、私には多くの兄たちがいます。私はこの国で領土を得ることができるでしょうか」と質問しました。


独覚ブッダは次のように答えました。


「王子よ、あなたはこの国では領土を得られないでしょう。ここから百二十ヨージャナほど離れたガンダーラ国にタッカシラーという町があります。今日から七日目にそこに着けば、領土を得ることができるでしょう。


しかし、七日間でタッカシラーに到着するためには、夜叉たちの住む森の中の難路を通らなければなりません。森には女の夜叉たちがいて、金を散りばめた天蓋のついた臥所のある豪華な家を造り、色とりどりに美しい布で飾って、男たちが通るのを待っています。女夜叉は天女のように美しく化けて、男たちを誘惑するのです。男たちが家に入ると、魔力で彼らを惑わせて煩悩のとりこにし、あげくの果ては、男を血まみれにして、骨だけを残して食べてしまいます。


女夜叉たちは、容色を好む者には美しい天女を装い、音を好む者には天の美声で歌い、香りを好む者には天の香りをかがせ、味を好む者には天の味覚を味わわせ、感触を好む者には天の臥所をもって惑わすのです。もしあなたが正しく五つの感覚器官を制して眼耳鼻舌身を護り、気づきを保ち、自分を失わずに行くならば、タッカシラーに着いて領土を手に入れることができるでしょう」と。


菩薩は、「先生、あなたの教えを聞いた今、どうして夜叉などに惑わされることがあるでしょう」ときっぱりと言って、独覚ブッダに守護の祈念をしてもらい、お守りの砂と糸をもらいました。そして、独覚ブッダと両親に別れの挨拶をし、いったん自分の家に戻りました。


菩薩には五人の家来がいました。菩薩は家来たちに、「私は領土を得るために、タッカシラーに旅立つことにした」と告げました。家来たちは「王子様、私たちも一緒に行きます」と言いました。「それはダメだ。タッカシラーに行くには、恐ろしい女夜叉たちの住む森を通らねばならない。夜叉は、天女のように美しい女に化けて、色香や美声、味や香りなどで、森を行く男たちを惑わすという。私は十分気をつけるからだいじょうぶだが、おまえたちは危ない。」「あなたと一緒にいて、そんな女に惑わされることがあるでしょうか。私たちもぜひ一緒に行きます。」五人の家来はどうしても一緒に行くと言ってききません。しかたなく菩薩は、「行くならば、よく五つの感覚器官を護り、夜叉にたぶらかされないよう気をつけるように」と言い聞かせ、彼らを連れて行くことにしました。菩薩と五人の家来は、タッカシラーに向けてすぐに出発しました。


六人は森に入りました。女夜叉たちは家々をつくり、華麗な美しさの天女に化けて、六人を待ちかまえていました。一行が通ると、「どうぞ、こちらで少し休んでいってくださいな」と、口々に家の中から呼びかけました。美人に目のない一人の家来が夜叉を見て、そのあまりの美しさに心を奪われてしまいました。彼は、次第に足が遅くなりました。菩薩が「どうして遅れるのか」と訊くと、「王子様、私はひどく疲れました。少し、あの家で休んでいこうと思います」と言うのです。菩薩が「あの美しく見える女たちは恐ろしい夜叉だ。惑わされるな」と注意しても、「どうしても足が痛くて、これ以上は進めません」と動かなくなりました。菩薩は「きっと後で後悔するぞ」と彼を引き留めようとしましたが、女夜叉の美しさに惑わされた家来は、菩薩が止めるのを振り切って、吸い込まれるように夜叉の家に入ってしまいました。夜叉たちは、家に入ってきた男を色香でとりこにし、殺して食べてしまいました。


菩薩の一行は仕方なく、五人で道を急ぎました。一人目の家来を食べた夜叉たちは、先回りをして違う趣向の家を造り、風雅な音色の楽器を奏で、天女の声で歌いながら菩薩たちを待ちました。美声を愛する一人の家来がそれを聞き、どうしても離れられなくなりました。彼は、次第に足が遅くなりました。菩薩が「どうしたのだ」と訊くと、「王子様、少しあの家で休んでいきます。先に行ってください」と言うのです。菩薩が「さっき家に入った者は追いついてこないではないか。決して惑わされてはいけない」と忠告しても、「きっとあとから追いかけます」と、菩薩が引き留めるのを振り切って、吸い込まれるように夜叉の家に入ってしまいました。夜叉たちは家に入ってきた男を美声と色香でとりこにし、殺して食べてしまいました。


 菩薩の一行は仕方なく、四人で道を急ぎました。二人目の家来を食べた夜叉たちは、先回りをして魅惑的なお香の店をつくり、美妙で典雅なお香の小箱をたくさん並べ、菩薩たちを待ちました。菩薩の一行が近づくと、美女に化けた夜叉は、天のお香をたきました。家来の中の香りに目がない男の足が、次第に遅くなりました。菩薩が「どうして遅れるのか」と訊くと、「王子様、私はひどく疲れました。少しあの店で休んでいこうと思います」と言うのです。菩薩が「あれは夜叉だ。惑わされるな」と忠告しても、「どうしても足が痛くて、これ以上は進めません」と動かなくなりました。菩薩はなんとかして引き留めようとしましたが、甘美な香りの誘惑に負けた家来は、吸い込まれるように、夜叉の店に入ってしまいました。夜叉たちは、店に入ってきた男を色香でとりこにし、殺して食べてしまいました。


 菩薩の一行は仕方なく、三人で道を急ぎました。夜叉たちはまた先回りをし、今度は世にも豪華な料理店をつくり、最高の天の味覚を盛りつけたお皿を豪勢に並べてすばらしい匂いを漂わせ、菩薩たちを待ちました。一行がそこを通りかかると「こちらへどうぞ」とにこやかに呼び止めました。食道楽でおいしいものに目がない家来の足が次第に遅くなりました。菩薩がなんとかして止めようとしましたが、彼は吸い込まれるように料理店に入って行ってしまいました。夜叉たちは、店に入ってきた男にたっぷりとおいしい食事を取らせた後、彼を殺して食べてしまいました。


 菩薩たちは仕方なく、二人だけで道を急ぎました。四人目の家来を食べた夜叉たちは、先回りをし、艶やかで華麗な家を造り、両方に赤い枕のある天の臥所を置いて、美しい天女に化けて二人を待ちました。二人が通ると寄ってきて腕にまとわりついて、家の中に呼び込もうとしました。最後に残った家来は、女夜叉の天女のごとき肌に惑わされ、次第に足が遅くなりました。菩薩が「おまえまで惑わされたのか。あの女は夜叉だ。だまされるな」と、なんとかして止めようとしたのですが、美しく化けた女夜叉の色香に惑わされた家来は耳を貸さず、夜叉の家へと吸い込まれていってしまったのです。夜叉たちは、家来を魔力のある色香でとりこにし、殺して食べてしまいました。


 菩薩はとうとう一人になりました。しかし菩薩は臆することなく勇敢に森を抜け、タッカシラーへと急ぎました。一人の女夜叉が、「あの男は非常に意志が固い。私はどんなことをしてでも、あの男を食べてやる」と、可憐な美女に化けて菩薩の後を追いました。若くて立派な男の後を、世にも美しい若い女が追いかけて行くのです。通りがかりの人々は興味を引かれ、次々に、「あなたはなぜあの男を追いかけているのですか」とたずねました。女夜叉が、「あの人は私の主人ですから」と答えると、「こんなにやさしくて花のように美しい女性が、自分の家も捨てて追い従っているのに、なぜ一緒に行かないのですか」と菩薩を責めました。菩薩が「この女は私の妻ではない。彼女は夜叉なのです。私の五人の家来は彼女に食べられてしまいました」と言うと、女夜叉は涙を浮かべ「何と悲しいことでしょう。男というものは、怒ると、自分の妻を鬼だとまで言うのです」と嘆いて見せました。人々はすっかりだまされて、「こんなにやさしくて可憐な女性に対して、何という冷たい男だろう」と菩薩を責めました。夜叉は、おもしろがって、美しい妊婦に化けたり、赤ん坊を作って胸に抱いたりしながら、菩薩の後ろをずっとついて行きました。多くの人々がわけをたずね、そのたびに菩薩を非難しました。


やっとタッカシラーに到着しました。そのころには夜叉の赤ん坊は消えていました。菩薩はある空き家に入り、お守りの砂を頭にかけ、糸を身につけて坐りました。清められた砂と糸で守られた家に、夜叉は入れません。夜叉は仕方なく、天女のように美しく化けたまま、家の前で立っていました。


するとたまたま、その国の王がそこを通りかかりました。王は美しい夜叉を見て心を奪われ、家来に調べさせました。夜叉は「家の中にいるのが私の主人です」と答え、菩薩は「この女は私の妻ではない。彼女は夜叉です。私の五人の家来は彼女に食べられました」と言いました。それを聞いた王は、「男は彼女は自分の妻ではないと言っている」と夜叉を呼び、自分の象に乗せて城に連れて帰りました。


王は夜叉を、最高の后の位につけました。夜叉は美しく化けた色香で王をとりこにした後で、泣き出しました。王が「なぜ泣くのか」とたずねると「私は道で拾われた女です。后になっても、何の権威もありません。王様にはたくさんのお后がいます。私は皆にバカにされています。王様、国中の権力と命令権を私にお与えください。そうすれば、私をバカにする人はいなくなるのです」と訴えました。いくら夜叉でも、人からの権利を得なければ、自分の好き勝手には行動できないからです。王は「后よ、それはできない。国民は私のものではない。国民が王に逆らってなすべきではないことをなさない限り、私には何もできない。ただ好き勝手に命令する権利は、私にはないのだよ」と言いました。それを聞いた夜叉は「では仕方ありません。この城の権威だけでもいただきたいと存じます」と願いました。夜叉のとりことなった王は、夜叉の望みを断ることができません。「よろしい」と、城の主権を与えてしまいました。城を支配下におさえた夜叉は、王が眠りについた後、仲間の夜叉たちを呼び寄せました。女夜叉はまず王を殺し、骨だけを残して、筋、皮、肉、血など、すべてを食べてしまいました。夜叉たちは、王の妻たちや、家来たち、城中の馬や象から鶏にいたるまで、すべての生き物を、骨だけ残してむさぼり食いました。

夜が明けて、お城には人っ子ひとりいなくなりました。お城の中があまりにもしーんと静まりかえっているので不審に思った人々は、門を壊して中に入り、びっくり仰天しました。お城の中は血まみれで、骨が散らばり、地獄のようなありさまです。人々は呆然として、「あの女は夜叉だと言ったあの若い男は正しかったのだ。王様は夜叉を后にし、お城の人々や動物は、残らず食べられてしまったのだ」と言い合いました。そして「あのよそから来た男は、美しく化けた夜叉に対しても五官を制し、惑わされることがなかった。勇敢で智慧のある人物に違いない。我々には王が必要だ。彼が国を治めたら、すばらしい政治をするだろう。彼に頼んで王様になってもらおう」と、皆で菩薩のところに行き、「どうかこの国の王になってください」とお願いしました。菩薩は承諾し、国王となりました。菩薩はその後、正しく国を治め、数々の善行為を行い、その行為に応じて次の世に生まれ変わっていきました。


【現在の物語と過去の物語のつながり】

ここで釈尊は過去の話を終えられ、正覚者として次の詩を唱えられ、涅槃に至る法話を頂点に導かれました。


未踏の地へ行くことを望む者は

油で満たされた鉢を運ぶごとく

自己の心を護れ


そして、「タッカシラーの王になった王子は私であった」と言われ、話を終えられました。

【この物語の教訓】

 油鉢のジャータカは、「気づき(sati)」の実践をするときは、どれほど真剣にやらなくてはならないかと教えてくれるエピソードです。ヴィパッサナー瞑想として知られている気づきの実践は、いたって簡単なのです。「あれ、これって瞑想ですか?」と不思議に思われるほどシンプルな方法です。人は、いろんな修行方法を見聞したこともあるし、おもしろ半分で試したこともある。ヨーガや巡礼の経験などを誇り高く吹聴することもある。また断食、写経、護摩、滝行、誦経などの宗教的な儀式儀礼もよくご存知の通りです。


釈尊が悟りを開かれ、また涅槃に至る唯一の実践方法としてのヴィパッサナー瞑想を紹介されると、修行という先入観で聞く方々は、「へえ、これって修行なの?」という気分になってしまうのは避けられない。今までの修行方法で手応えのある結果を経験しなかった方々は、あまりにもシンプルな気づきの実践に納得いく筈もない。「今の瞬間に、ありのままに気づきなさい」と言われると、「それでどうなるのか」という疑問が湧いてくる。「そんな生ぬるいやり方で、偉大なる悟りが開けるというのは疑わしい」と思ってしまう。「修行というのは、とても厳しいものでしょう。悟るというのは、稀な人間にしかできないことでしょう。猿にもできる方法ではない筈だ。悟ったのは、釈尊一人だけでしょう。」このような反論は、気づきの実践については絶えないものです。


この感想、この反論の一部は合っています。一部は全くも勘違いです。合っているのは、「修行というのは生ぬるい気持ちで、半端な気持ちでできるものではない。厳しい作業です」というところです。それは肉体的、精神的な苦痛を期待しているわけではありません。例えで言えば、飛行機の操縦士の厳しさのようなものです。決まりを完璧に守ってやれば、飛行は大変楽しいものです。しかし一つのミスでも犯したら、後は知れたものではありません。決まりさえ守るならば、空の旅ほど速くて楽しいものはありません。一番安全な乗り物だそうです。気づきの実践の厳しさは、パイロットの厳しさと比べてみれば、理解できると思います。


「今の瞬間に気付くこと」を、みなさまに、「今の一秒で自分がなさっていることを実況中継しなさい」という言葉に入れ替えて、紹介しているのです。「それだけ? 簡単すぎる。」その通りです。考えるだけなら、言うだけなら、簡単すぎるのです。しかし、やってみるといかに難しい修行かと身に沁みる苦い経験をするだろうと思います。悟りを開きたければ、絶世の美人たちが身体をむき出しにして歌ったり踊ったりするリオのカーニバルのようなすし詰めの所で、一滴もこぼさず満杯になった油の鉢を頭に乗せて通り抜けるぐらいの真剣さ、集中力を要するのです。鉢の底は丸い形ですよ。


このエピソードは、人間の弱みについて心理的に解明する試みです。「私はしっかり者だ、私は気が弱いのだ、云々」と、人は自己判断します。しかし、明確に自分の性格を分析して結論を出しているわけではありません。何となくそう思っているだけです。「自分を改良しなくてはいけない」と思う時でも、曖昧に、何となくその気になっているだけです。だから人には色々な決まり事があるが、実行となると一向に進まないのです。


世間では、何でもかんでもまとめて判断し、評価する傾向があります。例えば、「このご飯は美味しいです」と言う場合も明確な判断ではないと思います。食べ物には色と形がある。材料には独自の味がある。調理方法によって、その味が変わって、別の味になる。また、盛りつけという仕事もあります。このような複数の原因の結果が良ければ、料理が美味しいと言えるのです。しかし我々はまず「美味しい」と思う。「なぜ美味しいのでしょうか」と聞かれて、はじめて理由を考えるのです。だからまともな理由が思い浮かばないこともよくあるのです。


人の人生では、このようなやり方は正しくない。「あの人は良い人間だ、美人だ」と先に決めつけて、それから理由を探すのは、あべこべの行為です。「あなたは有罪だ。従って死刑に決める」と判決を下してから、有罪にするための証拠を調べるようなものです。人は「好きだ」「嫌いだ」という感情に振り回されて生きているが、それこそあべこべな生き方です。これは人間の弱みでもあります。「証拠と理由は後で探します。今は判断して行動します」という生き方は、決して正しくない。


このエピソードは人の「好き」という弱みについて説明する。「好き」といっても、仏教用語では「欲」です。心に欲が現れると、自由を失います。虜になってしまいます。魚が網にかかったようなものです。網にかかってから「なぜ、どのようにかかったのか、網にかからないためにどうすればよかったのか」と、後から魚さんがいくら智恵をしぼっても手遅れだと思います。人間は、欲という網にかかって不幸に陥る前に、欲の網の構成と機能を理解するべきです。


人間に眼・耳・鼻・舌・身という感覚を受ける場所が五つあります。この五つは、色・音・香り・味・感触に反応します。五官は皆同じレベルで感受性を持っているわけではない。人によって、ある人は一つの感覚は鋭敏で別な感覚は鈍感であることが普通です。「優秀な画家だが音痴だよ」という場合は、眼が鋭く、耳が鈍感なのです。突然「あの人は美人だ、恋に落ちた、何としてでも一緒になりたい」と判断を先走りすると、苦難に陥るのです。一人一人が、自分の五官の感覚能力、自分が何に弱いか、何に虜になりやすいかを理解した方が、安全に生きられると思います。


【記事の作成にあたっては、日本テーラワーダ仏教協会ホームページ「法話と解説 ジャータカ物語」を使用させて頂きました。法話と解説No.59(「パティパダー」2004年11、12月号)油鉢物語Telapatta jātaka(No.96)①② https://j-theravada.com/jataka/jataka059/ 監修 アルボムッレ ・スマナサーラ長老 編集 早川瑞生】

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