ジャータカ朗読会

《あらすじ》
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、イッリーサという億万長者の豪商がいました。彼は体にあらゆる障害をもち、しかも邪見があり、物惜しみをし、強欲で、人に何一つ与えませんでした。イッリーサの一族は、七代にわたって施しをする慈善家として知られていました。けれどもイッリーサ豪商は、家のしきたりを破って施しのためのお堂を焼き払い、貧しい乞食が来ると背中を打ち据えて追い返しました。
イッリーサ豪商はある日お城に出かけ、帰宅する途中、腐った魚を肴にして酒を飲んでいる人を見かけました。そして、自分もひどく酒を飲みたくなりました。豪商は、こっそりと酒を買ってこさせて川へ行き、川岸の茂みに隠れて酒を飲み始めました。
イッリーサ豪商の父は、生前の善行によって、死後、帝釈天(サッカ神)となって、天界に住んでいました。帝釈天は下界をのぞき、息子が家のしきたりを破って慈善を一切行わなず、一人でこっそりと酒を飲んでいるのを見ました。父は、「息子に『行為とその果報』という因果関係を教えてやろう」と思い、人間界に降りて息子そっくりの姿に化けました。
イッリーサに化けた帝釈天は、まずお城を訪ね、「私の家には八億の財産があります。それを王様に差し上げたいと存じます」と申し出ました。王は、「その必要はない。私には十分財産がある」と、断りました。彼は「では私は施しをしようと思います」と言って、王の許可を得ました。帝釈天は豪商の家に行き、門番に「私を語って家に入ろうとする者がいたら、背中を打って追い返せ」と命じてから家に入りました。
酒を飲んでいたイッリーサ豪商は、田舎者の男が牛で自分の宝物をいっぱい引いて歩いているのを見て慌てて、「返せ! これは全部私のものだ!」と牛の鼻紐を取りました。田舎者は「何をする! イッリーサ様が私に施してくださったのだ!」と、雷が落ちる勢いで豪商の肩を打ちすえました。豪商はその場に倒れましたが、震えながら立ち上がって泥を払い、牛を追いかけました。田舎者はイッリーサの髪をつかんで頭を地面にたたきつけ、立ち去りました。あまりのことに、豪商の酔いは、すっかりさめてしまいました。
豪商はもうわけがわからなくなって、「もはや王様に助けてもらうしかない」と、急いでお城に行きました。「王様、なぜ我が家の略奪を許されたのですか」と王に訴えたところ、王は「そなたが自分でやって来て、財産を差し出すと申し出たのだ。私が断ると、町中に施しをすると触れ歩いたではないか」と答えました。「そんなバカな。私がすごいケチなことをご存じでしょう。私は草の先の露ほども人に与えないのです。私を語った者を呼び、どうぞお調べください」と、豪商は王に懇願しました。
豪商の家に使いがやられ、豪商に化けた帝釈天が城に呼ばれました。二人はそっくりです。誰にも見分けがつきません。理髪師は二人の頭を見て「王様、二人とも同じ腫れ物があり、どちらが本当のイッリーサ様か見分けることはできません」と、次の詩を唱えました。
どちらもびっこ
どちらも片目
どちらにも腫れ物
どちらがイッリーサかわからない
イッリーサ豪商は心配のあまり気を失い、その場に倒れました。それを見た帝釈天は本当の姿を現し、「王よ、私は帝釈天です」と慈愛にあふれた姿で空中に立ちました。イッリーサは水をかけられて息を吹き返し、立ち上がって帝釈天に頭を下げました。
帝釈天は「イッリーサよ、家の財産はおまえのものではない。私はおまえの父だ。善行を積んだ徳によって、死後、帝釈天となった。おまえは強欲で、家のしきたりを破って財産を守っている。もしも慈善行をするならよし。さもなければ、財産はすべて奪い、金剛杖で頭を割ってしまうぞ!」と叱りつけました。
イッリーサは震え上がり、「絶対に慈善行を行います」と誓いました。帝釈天は空中に坐って豪商に法を説き、五戒を授けてから天界へと戻りました。心を入れ替えたイッリーサ豪商は、帝釈天の教えに従って善行を行い、その徳によって死後天界に生まれました。
078. Illīsa jātakaイッリーサ 【現在の物語】 これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時のお話です。 マガダ国にサッカラという町があり、マッチャリコーシャという億万長者の豪商が住んでいました。マッチャリコーシャはひどいケチでした。草の先の露ほどのものさえ、決して人に与えません。お金があるのにケチケチと切りつめて暮らし、鬼の住む蓮池のように誰も寄せつけずに生活していました。 ある朝お釈迦さまは、慈悲の目で世間を見渡され、サッカラの豪商とその妻は預流果の悟りを得る能力があることをご覧になって、彼らに法を説いてあげようとお考えになりました。 その日の前日、マッチャリコーシャはお城に出かけ、お城から帰宅する途中、男が道ばたで米粉で作った揚げ菓子をおいしそうに食べているのを見ました。豪商は、自分もすごく食べたくなりました。しかしケチな豪商は、「私が食べて、家の皆にも食べさせるはめになったらたいへんだ」とガマンしました。そのうちに、だんだん体が黄色くなって青筋が浮き出てきました。豪商は苦しくなって、寝床にしがみつくように横になりました。それでも揚げ菓子のことは、決して誰にも言わなかったのです。 妻が心配して、「どこか悪いのではないですか」「お城で何かあったのですか」「家の者が、気に障ることをしましたか」「何かほしいものがあるのではないですか」と色々と訊いても、「別に何もないのだ」と生返事ばかりして寝ています。それでも妻が「何かほしくないですか。何でも言ってください」としつこく言うと、やっと「米粉の揚げ菓子が食べたい」と言ったのです。 妻は、「どうして黙っていたのですか。町中の人に揚げ菓子を作って振る舞いましょうよ!」と喜んで言いました。豪商は「とんでもない!人のことは放っておけ!」と怒りました。「では近所に振る舞いましょうよ」「何という大盤振る舞い屋だ!」「では家の皆に振る舞いましょう」「何という浪費家だ!」「では家族で食べましょう」「子供たちには贅沢だ!」「では、私たち二人で食べましょう」「なぜおまえまで食べるのだ!」。何を言われても機嫌が悪かった豪商は、「では、あなただけのために作りましょう」と妻が言うのを聞いて、やっとうなづきました。 「台所で作ると皆にバレる。米粉と牛乳とバターと砂糖とハチミツ、それに鍋とかまどを七階の部屋に用意して、そこでこっそり作っておくれ」と豪商は言いました。妻は「はい、はい」と、言われた通りのものを準備させました。豪商は建物にも部屋にも鍵をかけ、七階の高殿の部屋の中で、やっと安心して椅子に腰掛けました。妻は豪商のために揚げ菓子を作り始めました。 ブッダの十大弟子のお一人に、モッガッラーナ尊者という神通力に優れた大長老がおられます。ブッダはモッガッラーナ尊者に、「モッガッラーナよ、サッカラの強欲な豪商が、揚げ菓子を独り占めしようとして七階の高殿の部屋にいる。そこへ行って教えを説き、彼の妻と彼をこちらに連れてきてください」とおっしゃいました。モッガッラーナ尊者は「かしこまりました」と、すぐに神通力でそちらに飛び、豪商がいる七階の部屋の窓の外に、衣を形良くつけ、宝石の像のようにすらりと立ちました。 一般の人には、神通力など、まず見せることはありません。モッガッラーナ尊者が窓の外にいるのを見たら、誰でも驚くはずなのです。しかし欲で目がくらんでいる豪商は、その力を賛嘆するよりも、揚げ菓子を取られることを思って心臓が震えました。 「こういう連中を避けて七階に来ているのに、窓の外にまで来て立っているとは!」と、鍋で煮詰めた砂糖のようにブツブツと怒りながら、「修行者よ、そこで何を得ようとしているのか。あなたが空中で歩行しても何も得られないだろうよ」と言いました。モッガッラーナ尊者はその場で歩く瞑想をしました。豪商が「空中で歩いてもムダだ。空中で坐っても何も得られないのだ」と言うと、尊者は結跏趺坐を組みました。豪商が「ムダだ! 窓の敷居に立っても何も得られないぞ」と言うと、尊者は窓の敷居のところに立ちました。「ムダだ。たとえ香をたいても何も得られないのだ」と言うと、尊者は香をたきました。 部屋全体にお香の煙が立ちこめ、豪商は目が痛くなりました。豪商は、家が火事になっては困るので「炎を出しても何も得られないぞ」とは言わないようにして、「しょうがないから一つだけ菓子をあげて帰ってもらおう」と思い、「小さな菓子を一つ作って出家者に与え、追い返しなさい」と妻に命じました。 妻は少量の種を鍋に入れましたが、菓子は大きくふくれました。「妻にまかせてはおけない」と、豪商が自分で小さなお菓子を作ろうとしました。すると、前よりもっと大きくなりました。いくらがんばっても、全部大きくなるのです。根負けした豪商は、「いちばん小さな菓子を捜して一つあげなさい」と言いました。妻が小さいのを取ろうとすると、全部の菓子がくっついてしまいました。豪商が来て、一つだけ菓子を取ろうとしても、取れません。二人で両端を持って引っ張りましたが、取れないのです。一生懸命になっているうちに汗が出てへとへとになりました。 豪商はやっとモッガッラーナ尊者の神通力の偉大さに気づきました。そして、優れた出家者にさえケチケチしている自分がとても恥ずかしくなりました。彼は「もう私は揚げ菓子はいらない。全部お坊様にお布施しなさい」と言いました。妻が菓子を持ってモッガッラーナ尊者のところに行くと、尊者は彼らのために、お布施について法を説きました。 布施の功徳を天空の月のように説き示された豪商は、生まれてはじめて清らかな信仰心を起こしました。そして「尊者、どうぞこちらの椅子に坐ってお菓子を召し上がってください」とていねいに言ったのです。尊者は「豪商よ、正しく悟りを開いた方が、五百人の修行僧と共に僧院におられます。もしよければ一緒に師のもとに行きましょう。師はここから四十五ヨージャナ離れた祇園精舎におられます。もしお望みなら、私の神通力でお連れしましょう」と言いました。豪商の夫妻は「よろしくお願いします」とお願いしました。 モッガッラーナ尊者は、部屋の階段の下に祇園精舎の門をつなげました。豪商の夫婦は、階段を下りて祇園精舎に入りました。二人は、僧団に供養の水を献上し、お釈迦さまの鉢に揚げ菓子を入れました。師が、ご自身の生命を維持するだけ取られると、五百人の比丘たちも、次々と同様に菓子を取りました。豪商と妻も食べたいだけ取り、物乞いの人々にも与えましたが、菓子はなお余りました。余った菓子は門の近くの洞穴に捨てられました。豪商の夫婦は釈尊の傍に行って祝福の言葉を与えられ、釈尊から法話を聞いて預流果の悟りを得ました。 翌日、比丘たちが昨日のことを話していると釈尊が来られ、「何を話しているのか」とおたずねになりました。「昨日、モッガッラーナ尊者が貪欲な豪商を教化して尊師に会わせ、預流果の悟りを得させたことを話しておりました」と皆が答えたところ、釈尊はモッガッラーナ尊者をほめて次の詩を唱えられました。 ミツバチが花を損なうことなく 蜜を取り去って行くように 聖者は人々を損なうことなく、 村々を歩く(ダンマパダ49) そして、「モッガッラーナが欲張りな豪商を導いたことは過去にもあった」と、過去の物語を話されました。 【過去の物語】 昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、イッリーサという億万長者の豪商がいました。彼は体にあらゆる障害をもち、手は不自由、足はびっこ、目は片目というありさまでした。しかも邪見があり、物惜しみをし、強欲で、人に何一つ与えませんでした。イッリーサの家は、七代にわたって施しをする慈善家として知られた家でした。けれどもイッリーサは、家のしきたりを破って施しのためのお堂を焼き払い、貧しい乞食が来ると背中を打ち据えて追い返させるほどでした。 イッリーサ豪商はある日お城に出かけ、帰宅する途中、腐った魚を肴にして酒を飲んでいる人を見かけました。そして、自分もひどく酒を飲みたくなりました。しかし、「もし私が酒を飲めば、うちの者どもも飲む。大事な財産が減ってしまうぞ」という考えが浮かび、ガマンしました。そのうちに次第に体が黄色くなり、青筋が浮き出てきました。豪商は苦しくなって、寝床にしがみつくように横になりました。でも酒のことは、決して誰にも言いませんでした。 妻が心配して色々と聞いても生返事ばかりして寝ています。それでもしつこく訊くと、やっと「酒が飲みたい」と白状しました。そこで、「どうして黙っていたのですか。町中の人に酒を振る舞いましょうよ」「人のことは放っておけ!」からはじまって、前回の話と同じように、「では、あなたお一人で飲んでください」と妻が言うまで、豪商は文句を言い続けました。一人で酒が飲めることになって落ち着いた豪商は、こっそりと酒を買ってこさせて川へ行き、川岸の茂みに隠れて酒を飲み始めました。 イッリーサ豪商の父は、生前の善行によって、死後、帝釈天(サッカ神)となって、天界に住んでいました。帝釈天はある日、下界をのぞき、息子が家のしきたりを破って慈善を一切行わなず、一人でこっそりと酒を飲んでいるのを見ました。帝釈天である父は、「息子に『行為とその果報』という因果関係を教えてやろう」と思い、人間界に降りて息子そっくりの姿に化けました。 イッリーサに化けた帝釈天は、まずお城を訪ね、「私の家には八億の財産があります。それを王様に差し上げたいと存じます」と申し出ました。王は、「その必要はない。私には十分財産がある」と、断りました。彼は「では私は施しをしようと思います」と言って、王の許可を得ました。 帝釈天は豪商の家に行き、門番に「私を語って家に入ろうとする者がいたら、背中を打って追い返せ」と命じてから家に入りました。そして豪華な椅子に座り、豪商の妻に、「妻よ、私はこれから皆に施しをしようと思う」と言いました。その言葉を聞いた妻や子供や使用人たちは、「旦那様は酒を飲んで気が大きくなってしまった」と驚きました。妻は「どうぞお好きなように皆にお与えください」と答えました。帝釈天は「それでは、『金・銀・宝石・真珠がほしい人は、イッリーサ豪商の家に行け』と太鼓を打って町中にふれまわすように」と妻に命じました。 おふれを聞いた大勢の人々が、思い思いの入れ物を手に豪商の家に集まりました。帝釈天は「望むだけ取りなさい」と蔵を開けました。みんな大喜びで、あれこれと、宝物をいっぱい持ち帰りました。ある田舎者が豪商の牛に豪商の宝を満載し、豪商をほめたたえながら歩いていました。「イッリーサの旦那、万歳! おかげで私も金持ちだ。この財産は親にもらったのではない。すべてイッリーサ様のおかげです」。 その言葉が、酒を飲んでいる豪商の耳に入りました。驚いた豪商は、「男が私の財産をもらったと言っている。王様が略奪など許されるはずがない」と、茂みから飛び出しました。すると、自分の牛が自分の宝物をいっぱい引いて歩いています。豪商は慌てて、「返せ! これは全部私のものだ!」と牛の鼻紐を取りました。田舎者は「何をする! イッリーサ様が私に施してくださったのだ!」と、雷が落ちる勢いで豪商の肩を打ちすえました。豪商はその場に倒れましたが、震えながら立ち上がって泥を払い、追いすがりました。田舎者はイッリーサの髪をつかんで頭を地面にたたきつけ、立ち去りました。 あまりのことに、豪商の酔いは、すっかりさめてしまいました。慌てて家に戻った豪商は、自分の財産を持ち帰ろうとする人々を見て驚きました。「これはいったいどうしたことだ! 王様が私の財産を略奪してもいいと言ったのか!」と、皆の胸ぐらを捕まえて叫びました。人々は豪商を殴りました。痛みと混乱で狂いそうになった豪商が家に入ろうとすると、門番が竹の棒で彼の背中を打って追い返そうとしました。 豪商はもうわけがわからなくなって、「もはや王様に助けてもらうしかない」と、急いでお城に行きました。「王様、なぜ我が家の略奪を許されたのですか」と王に訴えたところ、王は「そなたが自分でやって来て、財産を差し出すと申し出たのだ。私が断ると、町中に施しをすると触れ歩いたではないか」と答えました。「そんなバカな。私がすごいケチなことをご存じでしょう。私は草の先の露ほども人に与えないのです。私を語った者を呼び、どうぞお調べください」と、豪商は王に懇願しました。 豪商の家に使いがやられ、豪商に化けた帝釈天が城に呼ばれました。二人はそっくりです。誰にも見分けがつきません。豪商の妻が城に呼ばれました。妻は、「こちらが主人です」と、帝釈天の側に立ちました。子供たちや使用人も呼ばれましたが、皆、帝釈天の側に立つのです。困り果てた豪商は、「私の頭には髪に隠れた腫れ物がある。私の賢い理髪師を呼べば、私が本物だとわかるだろう」と考えました。理髪師が呼ばれて二人の頭を見ようとした瞬間に、帝釈天は自分の頭にも腫れ物を作りました。理髪師は二人の頭を見て「王様、二人とも同じ腫れ物があり、どちらが本当のイッリーサ様か見分けることはできません」と、次の詩を唱えました。 どちらもびっこどちらも片目 どちらにも腫れ物どちらがイッリーサかわからない イッリーサ豪商は心配のあまり気を失い、その場に倒れました。それを見た帝釈天は本当の姿を現し、「王よ、私は帝釈天です」と慈愛にあふれた姿で空中に立ちました。イッリーサは水をかけられて息を吹き返し、立ち上がって帝釈天に頭を下げました。 帝釈天は「イッリーサよ、家の財産はおまえのものではない。私はおまえの父だ。善行を積んだ徳によって、死後、帝釈天となった。おまえは強欲で、家のしきたりを破って慈善堂を焼き払い、乞食を追い払って、鬼の住む蓮池のような家にして財産を守っている。もしもお堂を元通りにして慈善行をするならよし。さもなければ、財産はすべて奪い、金剛杖で頭を割ってしまうぞ!」と叱りつけました。イッリーサは震え上がり、「絶対に慈善行を行います」と誓いました。 帝釈天は空中に坐って豪商に法を説き、五戒を授けてから天界へと戻りました。心を入れ替えたイッリーサ豪商は、帝釈天の教えに従って善行を行い、その徳によって死後天界に生まれました。 【現在の物語と過去の物語のつながり】 お釈迦さまは過去の物語を終えられ、「その時のイッリーサ豪商はサッカラの欲張りな豪商であり、帝釈天はモッガッラーナでした。王はアーナンダであり、イッリーサの理髪師は私でした」とお話しになりました。
【この物語の教訓】 ■ケチの定義 物惜しみというより、ケチといえば、それは何かと誰でもご存知だと思います。自分のものを他人と分かち合わない人のことを、ケチだと言うでしょう。その意味は、かなり甘いのです。これから、ケチの意味を理解しておきましょう。ケチは、一種の精神的な病気です。ケチ菌が心に感染したら、じわじわとその人の心を蝕んでいくのです。突然発病する病気ではありません。感染したその日から病気となって、その症状がじわじわと悪化して、人を破壊のドン底に陥れるのです。最初は何の危険も感じないが、心の明るさが消えていくのです。笑えなくなる、生きることは面白くなくなる、人付き合いは嫌になる、外へ出掛けたくない。大衆を集めてお祭りなどの楽しい催し物などをやっていても、無料で参加できるのに、人混みは耐えられない。しかし、引っ込みながら、自分も参加したい、楽しみたいと、悶々と悩む。友人は皆いなくなる。次に、親戚は親戚関係を絶つ。家族はバラバラになる。一緒にいても、自分の話は聞いてもらえない。時々妻や子供が大胆な行動をとって、財産を破壊する。例えば、家を担保にして、商売をするために詐欺師たちからお金を借りる。麻薬に手を出す。暴力団に入るなどです。それから、その人の自然環境も悪くなっていくのです。台風が来たら、先に自分の家が壊れる。白蟻やねずみなどが家に住みつく。目には見えないが、不幸を招く悪霊たちが家にも身体にも取り憑く。それで終わらない。健康も崩れていく。治療不可能な病気にかかる。簡単な病気でも、なかなか治らない状態になる。それによって寿命が縮むか、長生きしても病弱で苦しむかのいずれかです。人格は崩れて、徳は消える。暗い思考のお陰で、心が怒り・憎しみに溢れる。一人寂しく死んで、地獄に堕ちる。たとえ人間界に生まれても、皆に嫌われる不格好な身体を持つ。子育てもできないほど経済状態が厳しい家に生まれる。ケチ菌に感染したら、症状はこのように悪化していくのです。 ■ケチもいろいろ いろんな種のケチがあります。子供にはあげるが、旦那にはあげない。家で節約の盾に隠れてケチをして、外で友人たちと一緒に豪遊する。金はあげても物はあげない。物はあげても金はあげない。食べ物なら分かち合っても、金や物などは絶対あげない。また食べ物だけに一貫してケチに徹する。異性には太っ腹ですが、同性には厳密に厳しい。利口・慈しみなどを演じて、ケチ菌を養う人もいる。例えば、「他人から得たものは無駄にしないで、有効に使う人にあげるべきです。難民を援助すると、戦争する人々はいい気になって戦い続けるから援助を止めましょう。貧しい人に物をあげると怠け者になって仕事をしないので、あげること自体が不善行為になるのだ」などと言うのです。 ■ケチな人は頭がおかしい 「自分が汗水を垂らして儲けたものは自分のものである。それは他人にあげる必要はない。他人に貰う権利もない。自分の金を自分が使って何が悪いのか」と思う。それはケチな人の逆さま思考です。他人の協力なしに金は儲かりません。自然・生命・人間の協力があってこそ、自分が恵まれているのです。その協力がなければ、自分一人でいくら頑張っても水の泡です。ですから、自分が得た収入も、結局は自分一人のものではありません。「お前を食わしているのではないか」と妻を侮辱する、想像を絶するほどケチな人もいる。たったこの一言葉で、その人は自分の人生を台無しにするのです。 死ぬときは置いていくものですから、財産は決して自分の物にならないと仏陀が説かれる。「自分さえも自分のものではないのに、私に家族がいる、財産があると思う愚か者は、悩み苦しむ。」(ダンマパダ62) 他人と分かち合って生活する人は、財産にも良い人間にも恵まれるのです。道徳を守り、精神を清らかにする修行者に施しをすると、徳と智慧にも恵まれるのです。誰にあげても良いのですが、罪を犯す人を応援して物をあげることだけは、徳ではなく罪になります。完全たる真理を語り続ける、戒を守る仏弟子達にする布施は、最大の徳になる。 この物語はケチのあまりに、精神病にかかった人の話です。精神的に発病したならば、ショック療法しないと治らないのです。 【記事の作成にあたっては、日本テーラワーダ仏教協会ホームページ「法話と解説 ジャータカ物語」を使用させて頂きました。法話と解説No.56(「パティパダー」2004年8、9月号)ケチケチ大富豪の物語①②Illīsa jātaka(No.78) https://j-theravada.com/jataka/jataka056/ 監修 アルボムッレ ・スマナサーラ長老 編集 早川瑞生】