top of page

041 Losaka jātakaローサカ

《あらすじ》
 昔々、カッサパブッダという正覚者(しょうかくしゃ)の時代に、ある出家者(しゅっけしゃ)が、村の金持ちの居士(こじ)のお布施を受けて、居士の屋敷の近くにある寺に住んでいました。

ある時、一人の阿羅漢(あらかん:完全に悟りを開いた聖者)が、その村にやって来ました。寺の長老は、なんとか旅の長老がこの寺に住まないようにしようと考えました。阿羅漢である旅の長老は、寺の長老の心を知って、自分の庵でひとり坐って、禅定(ぜんじょう)の安楽に住していました。

翌日の托鉢(たくはつ)の時間になると、寺の長老は、指の節で鐘を小さく鳴らし、阿羅漢である旅の長老が休んでおられる庵の戸を爪でなでるように叩いてから、居士の家に一人で行きました。寺の長老は居士に、「来る時に鐘を叩き、庵の戸を叩いたのですが、彼は目を覚ましませんでした。昨日こちらでおいしいごちそうを食べ、それが消化できずに寝ているようだ。どうぞ気にしないでください」と言いました。その頃、阿羅漢である旅の長老は、身の回りのものを整えて、鉢と衣を持ち、空に浮かぶように、どこかへ飛び去って行かれました。寺に戻った長老は、「私は胃の痛くなるような悪いことをした」と、非常な心痛に襲われまもなく死んで、地獄に生まれました。

彼は、地獄に堕ちて何十万年も非常に苦しみました。その後、五百回も夜叉に生まれ変わりました。次に、五百回、犬で生まれました。犬になっても、たった一日だけ吐き気を催すようなものをたくさん食べたことがあった以外、満足する量の食べ物を食べた日はありませんでした。

犬としての生を終えた彼は、人間となってカーシ国の村の貧しい家に生まれ、ミッタヴィンダカと名付けられました。その家はますます貧乏になり、両親は飢えの苦しみに耐えられず、彼を追い出しました。彼は身寄りのない身となってさまよいながら、バーラーナシーの都へとやって来ました。その頃、菩薩(ぼさつ)は高名なバラモンでありました。ミッタヴィンダカは菩薩のところで技術を学ぶことになりましたが、ひどい喧嘩をして菩薩のところからも逃げ出しました。

とある辺境の村に住み着くと、村は災難つづきとなり村人たちは、彼を追い払いました。次に、ガンビーラという漁村に着き航海に出ました。ところがその舟は、海のど真ん中で岩に乗り上げたように静止し、不吉者を捜すくじ引きで竹の筏で海へ放り出されました。彼は竹の筏に腹這いになって海の上を進んで行き海に浮かぶ水晶の宮殿にたどり着き、その島にも満足できず他の場所へと進むと、たくさんの夜叉が住む島に着きました。夜叉は、魔力で彼を投げ飛ばしました。彼は海を越え、バーラーナシーの城の濠端にまで放り投げられました。ミッタヴィンダカは、そこにいる山羊を見て足をつかみました。山羊飼いたちが飛んできて、ミッタヴィンダカを捕らえ、彼を殴って、きつく縛り上げました。

ちょうどその時、菩薩がそこを通りかかりました。菩薩は「私は彼を下僕として仕えさせようと思うのだが、こちらに渡してもらえないだろうか」「師よ、よろしゅうございます」。山羊飼いたちは彼を放免しました。
菩薩が「ミッタヴィンダカよ、長い間、いったいどこにいたのか」と訊くと、彼はそれまでのことを話しました。話を聞いた菩薩は、次の詩を唱えました。

  ためを思い憐れみて教え諭されるも
  その言葉を聞き入れぬ者
  山羊をつかんだミッタヴィンダカのごとく
  悲哀を得る

その後ミッタヴィンダカは菩薩に仕え、皆、それぞれの行いによって、生まれるべきところに生まれ変わって行きました。

041 Losaka jātakaローサカ

【現在の物語】  これはシャカムニブッダがコーサラ国の都であるサーワッティ(舎衛城)郊外の祇園精舎におられた時のお話です。 コーサラ国に、一千戸の漁師の家族が集まる漁村がありました。ある時、一人の漁師の妻のお胎に胎児が宿りました。その時から、その村では災難ばかりが起こるようになりました。漁師たちには一匹も魚が捕れず、村はどんどん貧しくなる一方です。しかも、七回も火災が起こり、七回も王様から処罰を受けました。 あまりの災難つづきに、村人たちは、「村のどこかに不幸を呼ぶ者が来たに違いない。ためしに村を二つに分けてみよう」と話し合い、村を五百戸ずつに分けました。すると、その子を身ごもった夫婦のいる村は落ちぶれ、その夫婦のいない村は栄えました。落ちぶれた方の村をまた二つに分けたところ、また、その子を身ごもった夫婦のいる村は落ちぶれ、その夫婦のいない村は栄えました。それを繰り返していくうちに、とうとう、その子を身ごもった夫婦の家だけが残りました。 村人たちは、その夫婦を打ち据えて、追い出しました。村を追い出された母親は、やっとのことで生活して息子を出産しました。その赤ん坊は、今生を最後の生まれとして生まれたので、悟りを開くまで死ぬことはありません。阿羅漢(最上の悟りを開いた聖者)になる資質が、ビンに入ったランプの灯のように、心に灯っていたのです。 しかし母親は、子どもがある程度大きくなるまで面倒をみたかと思うと、やっと元気に走り回れるぐらいになった子どもに「これからは乞食をしてくらしなさい」と鉢を持たせ、自分はどこかに行ってしまいました。 子どもはひとりぼっちになり、適当なところで寝、体も洗わず、餓鬼のようななりで、何とか生きていました。そのうちに彼は、さまよいながら、サーワッティへとやって来ました。 ある日、七歳になった子どもが屋外の洗い場に落ちている米粒をカラスのように拾い食いしていると、ちょうどサーワッティで托鉢しておられたサーリプッタ尊者が通りかかりました。サーリプッタ尊者の心に「あの可哀想な子どもはどこの子だろう」という憐れみの心が起こりました。長老は「こちらにおいで」と子どもを呼びました。子どもは長老の側に来て、礼をしました。 長老は「君はどこの村の子か。親はどこにいるのか」とたずねました。「僕はひとりです。両親は僕を捨ててどこかに行ってしまいました」「君は出家するつもりはないか」「お坊さま、僕は出家したいです。だけど僕のようにみずぼらしい者を、誰が出家させてくれるでしょう」「私が出家させてあげよう」「本当ですか。お願いします」。 サーリプッタ尊者はその子に食事を与え、精舎に連れて帰り、ご自分の手できれいに洗ってあげて、沙弥として出家させました。そして、彼が十分な年齢になるまで面倒を見てから、具足戒(正式に比丘になるための戒律)を授けました。比丘になった彼は熱心に修行し、ある年月が経つと、人々からローサカ・ティッサ長老と呼ばれるようになりました。 しかしローサカ・ティッサ長老の生活はなぜか恵まれず、いつもわずかなもので満足する状態でした。盛大なお布施の時でさえ、ローサカ・ティッサ長老が得る食事は、命を保つだけのささやかなものでした。ローサカ長老の鉢は、ヒシャクに軽く一杯だけ粥を入れただけで、溢れるように見えるのです。そこで人々は、次の比丘の鉢に粥を入れてしまうのでした。人々の中には、「ローサカ長老の鉢に粥を入れようとすると、なぜかこちらの用意していた粥がなくなってしまう」と言う人もいました。粥だけでなく、すべての食べ物がそのようなありさまでした。 けれどもローサカ・ティッサ長老は熱心に修行を続け、ついに智慧が生じて阿羅漢果(最上の悟りの境地)を得ました。それでも、ローサカ長老はお布施に恵まれず、わずかな食べ物で満足するしかない生活は相変わらずでした。 そのうちにローサカ・ティッサ長老の寿命が尽き、涅槃に入られる日が来ました。サーリプッタ尊者はそのことを知り、「友、ローサカ・ティッサは、今日、涅槃に入るだろう。私は今日こそ、彼が食べたいだけ食べられるようにしよう」と思い、長老と共にサーワッティの街に托鉢に出ました。 しかし人々は、ローサカ・ティッサ長老がいると、お布施どころか礼もしないのです。サーリプッタ尊者は、「友よ、先にあるお堂で坐っていてください」と長老を先に行かせ、自分が托鉢して、「これをローサカ・ティッサ長老にあげてください」とそこにいた人に言って、十分な食事を持って行かせました。ところがそれを運んだ者は、ローサカ長老のことを忘れて自分が食べてしまったのです。 サーリプッタ尊者がお堂の方に行くと、ローサカ長老が立って、礼をしました。サーリプッタ尊者が立ち止まって振り返り、「友よ、食事を食べましたか」と訊くと、ローサカ長老は「尊師、後で食べるでしょう」と答えました。比丘の食事の時間は過ぎようとしていました。 サーリプッタ尊者は「友よ、ここで坐っていてください」と言って、コーサラ王の宮殿に行きました。国王は、「お食事の時間は過ぎている。長老に四甘食(バターや蜜で作ったデザート)を差し上げなさい」と命じ、サーリプッタ尊者の鉢一杯に上等の四甘食を入れさせました。 サーリプッタ尊者はローサカ長老のところへ戻り、「友、ティッサよ、これを食べなさい」と言いました。しかし、サーリプッタ尊者を深く尊敬するローサカ・ティッサ長老は、遠慮して食べません。サーリプッタ尊者は、「友、ティッサよ。私はこの鉢をここで持って立っていよう。あなたは坐って、この鉢から食べなさい。私が鉢から手を放すと、中の食べ物はなくなってしまうだろうから」と立っていました。 ローサカ・ティッサ長老は、最も年上の法兄であるサーリプッタ尊者が鉢を持っておられる間に、おいしい四甘食を食べました。それは、サーリプッタ尊者の神通力で、いくら食べても減りませんでした。ローサカ・ティッサ長老は、十分満足するまで食べることができました。そしてその日のうちに寿命が尽きて、涅槃に入られたのです。 釈尊は阿羅漢であるローサカ・ティッサ長老を手厚く葬らせ、骨を塔に奉りました。 比丘たちが法話堂に集まって、「ローサカ・ティッサ長老は、あのように恵まれず、わずかなお布施しか得られない方でありながら、なぜ聖なる法を得て悟られたのだろう」と話をしていました。釈尊が来られて何を話しているのかと比丘たちにたずねられ、比丘たちがお答えすると、釈尊は「比丘らよ、ローサカ・ティッサが恵まれなかったことも、聖なる法を得たことも、自分でした行いの結果なのだ。彼は前世で、他の者が布施を得るジャマをしたので、わずかなものしか得られない者となった。また、世は無常であり、苦である、という智慧を得るに相応しい励みによって、聖なる法を得る者となった」と言われ、比丘たちに請われるままに過去の話をされました。 【過去の物語】  昔々、カッサパブッダという正覚者の時代に、ある出家者が、村の金持ちの居士のお布施を受けて、居士の屋敷の近くにある寺に住んでいました。彼は比丘として為すべきことを為し、戒を守り、智慧を得るための修行を熱心に行じていました。 ある時、一人の阿羅漢(完全に悟りを開いた聖者)が、その村にやって来ました。居士はその長老の立ち居振る舞いに感心し、長老の鉢を取って家に招き、礼拝して、うやうやしくお布施の食事を差し上げました。お布施の後で長老から短い法話を聞いた居士は、長老に礼をして、「尊師、どうぞこの屋敷の近くにあるお寺にいらっしゃってください。私も夕方に訪問いたします」と言いました。 旅の長老はお寺を訪ね、そのお寺に住んでいる長老に挨拶しました。寺の長老は旅の長老に挨拶を返し、「友よ、食事のお布施は受けましたか」とたずねました。「はい。受けました」「どちらで受けたのですか」「ここから近い金持ちの居士の家です」。阿羅漢である旅の長老は自分の宿坊をたずね、そちらに行って鉢を置いてから、静かに坐って禅定の安楽に入られました。夕方になると、村の居士が、お香や花や灯火や油を持たせてお寺に来ました。 居士はお寺の長老に礼拝し、「尊師、旅の長老がこちらに来られましたか」とたずねました。「はい、来られましたよ」「今、どちらにおられますか」「あちらの宿坊です」。居士は阿羅漢の長老を訪ねて法話を聞き、塔と菩提樹に供え物をして灯火に火を灯し、二人を翌日のお布施に招待してから家に帰りました。 寺の長老は、「あの居士は私から離れようとしている。旅の比丘がこの寺に住んだなら、いったい私に対してどういう待遇をするようになることだろう」と考えて不愉快になり、なんとか旅の長老がこの寺に住まないようにしようと考えました。寺の長老は、旅の長老に口をきかなくなりました。 阿羅漢である旅の長老は、寺の長老の心を知って、「彼は私が邪魔者にならないということを知らない」と思い、自分の庵でひとり坐って、禅定の安楽に住していました。 翌日の托鉢の時間になると、寺の長老は、指の節で鐘を小さく鳴らし、阿羅漢である旅の長老が休んでおられる庵の戸を爪でなでるように叩いてから、居士の家に一人で行きました。 居士は寺の長老の鉢を取って用意した席に案内し、「尊者よ、旅の長老はどうされましたか」とたずねました。寺の長老は、「私はあなたの信頼する方の様子を知りません。来る時に鐘を叩き、庵の戸を叩いたのですが、彼は目を覚ましませんでした。昨日こちらでおいしいごちそうを食べ、それが消化できずに寝ているようだ。どうぞ気にしないでください」と言いました。 その頃、阿羅漢である旅の長老は、身の回りのものを整えて、鉢と衣を持ち、空に浮かぶように、どこかへ飛び去って行かれました。 居士は、寺の長老に、上質のバターと蜜と砂糖を入れた乳粥のお布施を差し上げました。そして、香りのいい粉で磨かせた鉢に同じ乳粥を満たし、「尊師、新しく来られた長老は、長旅で疲れて寝ておられるのでしょう。どうぞこの乳粥を持って帰って差し上げてください」と言いました。 寺の長老は乳粥の鉢を受け取り、寺に戻りながら思案しました。「あの比丘にこのおいしい乳粥を食べさせたら、首根っこをつかんで追い出そうとしても、寺を出て行かなくなるだろう。だが、この乳粥を他の誰かにあげたりしたら、私の行動がバレてしまう。どこか水の中に捨てたりしたら、バターの油が浮かんで不審に思われる。地面に捨てたなら、カラスが集まるから、やはりおかしいと思われる。いったいどこに捨てたらいいだろう」。 ちょうどその時、焼き畑に出くわしました。寺の長老は焼き畑の燃えくずを取り除いて乳粥を捨て、上から燃えくずをかぶせました。 寺に戻った長老は、旅の長老がいなくなっているのを知りました。そして、「あの長老は、私の考えを知って、どこかへ立ち去ったのに違いない。あの方は優れた境地を得ていた。私は胃の痛くなるような悪いことをした」と、非常な心痛に襲われました。彼は人間のまま餓鬼のようになり、まもなく死んで、地獄に生まれました。 彼は、地獄に堕ちて何十万年も非常に苦しみました。しかし悪い業は尽きず、その後、五百回も夜叉に生まれ変わりました。夜叉でいた間、彼は、たった一日だけ排泄物を食べて満腹になることがあった以外、一日も何かを腹一杯食べることはできませんでした。次に、五百回、犬で生まれました。犬になっても、たった一日だけ吐き気を催すようなものをたくさん食べたことがあった以外、満足する量の食べ物を食べた日はありませんでした。 犬としての生を終えた彼は、人間となってカーシ国の村の貧しい家に生まれ、ミッタヴィンダカと名付けられました。ミッタヴィンダカが生まれると、その家はますます貧乏になり、水粥さえ満足に食べることができなくなりました。両親は飢えの苦しみに耐えられず、「貧乏神は出て行け」と言って、彼を追い出しました。 ミッタヴィンダカは身寄りのない身となって、さまよいながら、バーラーナシーの都へとやって来ました。その頃、菩薩は高名なバラモンであり、バーラーナシーで五百人の弟子たちに技芸を教えていました。当時のバーラーナシーでは、貧しい若者に奨学金を与えて勉強させる制度がありました。 ミッタヴィンダカは奨学金を得て、菩薩のところで技術を学ぶことになりました。ミッタヴィンダカは乱暴者で、すぐに暴力を振るいました。しかも頑固で、菩薩が親切に諭しても言うことを聞きません。乱暴なミッタヴィンダカが来てから、菩薩の弟子は少なくなりました。そのうちにミッタヴィンダカは若者とひどい喧嘩をして菩薩のところからも逃げ出し、あちこちさまよいながら流れて行きました。 ミッタヴィンダカは、とある辺境の村に流れ着き、一人の不幸な女と出会って一緒に暮らし出しました。その女に二人の子どもが生まれました。村人たちは彼を雇い、「良い情報や悪い情報があれば、我々に知らせてくれ」と言って、村の入り口にある小屋に住ませました。 ここにミッタヴィンダカが住み着くと、村は災難つづきとなりました。七回も火事になり、七回も王の処罰を受け、七回も池が枯れて干ばつになったのです。村人たちは、「これはミッタヴィンダカのせいに違いない。あいつが来るまでは、こんな不幸は起こらなかった」と、彼を打って追い払いました。 家族を連れて村を出たミッタヴィンダカは、他の場所に行こうとして悪鬼の住んでいる森に入り、妻と子どもたちを食べられてしまいました。 彼だけは何とかその森から逃げ出て、そのままさまよい歩いていると、ガンビーラという漁村に着きました。そちらではちょうど、舟が出航するところでした。ミッタヴィンダカは舟で雇ってもらい、航海に出ました。ところがその舟は、海に出て七日目に海のど真ん中で止まってしまったのです。岩に乗り上げたように静止した舟に困り果てた船乗りたちは、災難を起こす不吉者を捜すくじ引きをしました。くじは七回ともミッタヴィンダカに当たりました。 船乗りたちは、竹の筏に彼を乗せ、海へ放り出しました。ミッタヴィンダカが舟から出たとたん、舟は無事に進み出しました。ミッタヴィンダカは竹の筏に腹這いになって海の上を進んで行きました。彼はカッサパブッダの時代に出家して戒を守っていた果を受けて、海に浮かぶ水晶の宮殿にたどり着き、そこに住む四人の天女たちと七日間のあいだ楽しく暮らしました。七日経つと、天女たちは用事で島を留守にしました。 ミッタヴィンダカは島を出て筏を進め、八人の天女たちが住む銀の宮殿に着きました。彼はそこにも長く留まらず、次に十六人の天女たちがいる宝玉の宮殿に流れ着き、そこでしばらく暮らしてからまたその島を出て、三十二人の天女たちがいる金の宮殿に流れ着き、その島にも満足できずに、さらに他の場所へと進みました。すると今度は、たくさんの夜叉が住む島に着きました。 一人の夜叉の女が山羊に化けて歩いていました。ミッタヴィンダカは、「山羊の肉を食ってやろう」と思って足をつかみました。夜叉は、魔力で彼を投げ飛ばしました。 彼は海を越え、バーラーナシーの城の濠端にまで放り投げられました。投げ飛ばされたミッタヴィンダカは、そこにいる山羊を見て、「もしまたこの山羊の足をつかめば、今度は海の上の天女の宮殿まで投げ飛ばしてくれるかもしれない」というバカげた考えから、山羊の足をつかみました。 足をつかまれた山羊は、大声でわめきました。山羊飼いたちが飛んできて、ミッタヴィンダカを捕らえ、「盗賊め、長い間、王様の山羊を盗んできた山羊泥棒はおまえだな」と彼を殴って、きつく縛り上げました。 ちょうどその時、菩薩が五百人の弟子たちと沐浴に出かけようとして、そこを通りかかりました。菩薩はミッタヴィンダカを見て、山羊飼いたちに話しかけました。「彼は私の弟子だった者だ。いったいどうしたのか」「師よ、彼は山羊泥棒です。山羊の足をつかんだところを捕らえたのです」「そうか。私は彼を下僕として仕えさせようと思うのだが、こちらに渡してもらえないだろうか」「師よ、よろしゅうございます」。山羊飼いたちは彼を放免しました。 菩薩が「ミッタヴィンダカよ、長い間、いったいどこにいたのか」と訊くと、彼はそれまでのことを話しました。話を聞いた菩薩は、次の詩を唱えました。   ためを思い憐れみて教え諭されるも   その言葉を聞き入れぬ者   山羊をつかんだミッタヴィンダカのごとく   悲哀を得る

その後ミッタヴィンダカは菩薩に仕え、皆、それぞれの行いによって、生まれるべきところに生まれ変わって行きました。

【現在の物語と過去の物語のつながり】  お釈迦さまは「その時のミッタヴィンダカはローサカ・ティッサであり、高名なバラモンの教師は私であった」と言われ、話を終えられました。 【この物語の教訓】  釈尊がある日、沙弥出家していたSopāka(ソーパーカ)という子どもに質問なさいました。「一とは何ですか?」沙弥が答える。「すべて生命の命は『食』に支えられている」「答えは見事に正解です」と子どもを誉めた釈尊は、「では、二とは何ですか?」と訊きました。このエピソードの続きは別な機会にして、釈尊と沙弥(七歳だそうです)の、この遊びはどういう意味かと考えてみましょう。 釈尊が、この子どもがどこまで真理を理解し、体得しているのかとテストしたのです。質問は一から始まって十まであり、真理を知り尽くしていないと答えられるものではありません。


では皆様も答えを出してみてください。「一とは何ですか?」俗世間の知識、数学では答えがないと思います。一は、客観的に存在するものではありません。頭の中でのみ成り立つ概念なのです。真理を語る仏教では、概念・観念などには居場所はありません。Sopāka沙弥の答えは、「生命とは何なのか」と発見された智慧から発生したものです。(実は、Sopāka沙弥は阿羅漢果に達していた聖者なのです。子どもなのに一切の生命を乗り越えた賢者であることを、釈尊が皆に知らせたかったのです。


この問答は、Sopāka沙弥の合格発表のようなものです)生きるということは、心が知ること、認識することを、絶えず続けることです。認識機能を司るために、カラダという物体を使用するのです。カラダが簡単に壊れるものなのです。それを維持管理、修復するためには、材料が必要です。食というのは、この材料のことです。 食べるものだけでは生き続けることはできません。生き続けるとは、認識が絶えず続くことです。何かを認識するために、まず、その情報に心が触れなくてはならない。次に、触れたことを感じなくてはならない。次に、(触れた情報そのものというより)感じたものを認識する。(感じるものを認識するので、すべての生命の認識は、各々バラバラで、統一しないのです)一つの認識は、次の認識を作るのです。このような循環で、生命が生き続けるのです。 では、まとめてみましょう。①食べ物:身体を維持管理する ②情報が触れること ③情報を感じること ④情報を認識すること このように、食は四種類です。輪廻転生するすべての生命が、食によって生き続けるのです。


瞑想して高いレベルの禅定に達する行者たちがいます。仏教では、禅定を八段階に分けています。五~八番目までの禅定を「無色界」といいます。この禅定に達した行者たちは、死後、無色界の梵天に生まれるのです。無色というのは、身体を持たないという意味です。純粋に心だけで生き続けるのです。梵天には素粒子一個くらいの身体も無いのです。ですから、①の食(食べ物)は、摂りませんし、摂れません。梵天は②から④までのメンタルの食に支えられているのです。Sopāka阿羅漢が、この真理を知り尽くして、「一とは、すべての生命の命は『食』に支えられている」と見事に答えたのです。


我々人間のことを観察しましょう。母体に生を受けた瞬間から死ぬまで、絶えず栄養を摂っています。「一日三食」というのは、俗っぽい言い方です。この場合の食は、栄養を摂っていることではありません。物質を入庫することだけです。栄養を摂るということは、絶えず起きているのです。身体を電気製品に喩えてみればわかります。電気製品が動くためには、絶えず電力が必要です。人間はご飯だけで生きていられない。眼・耳・鼻・舌から情報を取る。身体からも情報を取る。頭の中で考えたり、妄想したり、喜んだり、悩んだりする。これらがメンタルな栄養なのです。食べ物があっても、メンタルな栄養が悪くなったり、切れたりすると、たちまち病気になったり、死んだりするのです。 生きている者にとって「四種類の栄養」がどれほど大事かと、理解できると思います。幸福な人、恵まれた人というのは、質の良い四栄養が十分ある人です。「金持ちが幸福だ、健康は幸せだ、美人は得をするのだ」などの意見は、俗世間レベルの思考です。真理の世界では、四栄養に恵まれることが、輪廻転生する生命にとっての幸せです。 他の生命に四栄養を与えることは、その生命に命を与えることです。幸福を与えることです。行為は確実に結果をもたらすので、与えた人も幸福に恵まれるのです。舞踊、音楽、文学なども、メンタルな栄養ですが、それによって心が貪瞋痴に汚れるので、善行為として曖昧なのです。食べるものを布施することは、確実に善行為です。人から食べるものを奪うこと、食べるものが人の手に入らないようにすることは、重罪なのです。能力のある人が大富豪になる。だからといって、その富を他人と分かち合わないことも重罪なのです。なぜならば、競争社会というのは、一人が豊かになると、沢山の人々が貧乏になる仕組みなのです。皆が讃嘆している競争主義社会は、罪の生き方なのです。あまりやりたがらない共存主義は、善の生き方です。共存社会が存在しない世界では、皆、他人を助けたり、布施や寄付をしたりしなくてはならないのです。今月のジャータカ物語は、「食べものを奪う」という罪の重さを語っているのです。 それでは、ローサカ・ティッサ阿羅漢が過去世でちょっとした嫉妬のせいで犯した過ちは、既におわかりになったでしょう。居士が阿羅漢にお布施した食事を、本人に与えないで、燃やしたのです。業に照らすと、人の一日の食料を奪ったことになるのです。自分で食べていないので、盗罪にはならない。生き物や人に食べ物を与える布施者は、相手に①āyu:寿命(命)、②vaṅṅa:容色、③sukha:楽・幸福・楽しみ、④bala:力、⑤paññā:知恵(悟りの智慧ではなく、生命として必要とする認識力)という五つを与えるのだと、釈尊が説かれます。旅の長老の食事を捨てたことで、ローサカ・ティッサ阿羅漢は、過去世で、すべての生命が命を維持するために必要な五つのものを奪ったのです。罪を償ってからも、彼は、寿命・容色・幸福・力・知恵に乏しかったのです。 この物語は、業の働きのいくつかの側面を説明しています。大事なポイントは、まず、何か罪を犯したら、その罪が直撃することです。地獄・畜生・餓鬼道などに生まれ変わって、その罪の罰に直撃されるのです。その罪が転生する力はやがて尽きますが、それでも罪の形跡が残ってしまうのです。例えば、罪を犯した生命が人間として生まれたとする。人間に生まれることは善行為の結果です。しかし、過去に犯した罪の残量が、いろいろと不幸を招くのです。 このエピソードの主人公の村の比丘は、地獄などを転生して悪業の力が尽きたところで人間に生まれ、ミッタヴィンダカと知られるようになりましたが、人間らしい生き方をすることができなかったのです。一般の社会からだけではなく、親からも捨てられるのです。慈悲深い菩薩が育てようとしても、そこから逃げるのです。この不幸になる性格の悪さが、過去世の悪業の残量結果なのです。覚えておきたいのは、悪業の残量結果も大変厳しいということです。ですから罪は、軽く見えても、その結果は決して甘くないと理解した方が安全です。業の結果は決して一対一ではない。小さな罪が大きな不幸を築く。小さな善行為も、大きな幸福を築くのです。 行為と結果が一対一でないのはなぜでしょうか。物質的な働きの場合は、行為と結果はほぞ一対一です。しかし生命が行う行為は、心の働きなのです。物質的な働きではありません。心は瞬間 瞬間変化していく、光よりも早い「エネルギー」なのです。手をあげて人を殴ったとしましょう。物質的には一個の行為です。しかし、それを行うために無数の悪の心が流れて行くのです。悪の心一個一個が悪業になるのです。だから物質には一個の行為も、心の状態から見ると、無数の行為になるのです。そういうわけで、業の結果は一対一ではないのです。その心の法則を知っている人は、たとえふざけてでも、悪行為はしないのです。 次のポイント。ミッタヴィンダカがどこへ行っても、自分だけではなく周りも不幸になる。彼の母が妊娠した時から、その家族は不幸のどん底でした。水粥さえも満足に食べることができなくなった。彼が見事な貧乏神でした。ここで疑問です。罪を犯したのはミッタヴィンダカなのに、なぜ家族や村人まで不幸にならなくてはならないのでしょうか。他人の業も自分にかかってくるのでしょうか。それなら、たまったものではありません。世の中で人を殺したり他の罪を犯したりした人の報いが私たちにまで来るなら、理屈に合わないでしょう。 解明は以下の通りです。他人の悪業も、善業も、自分には関係ありません。完全な自業自得の法則です。しかし、人が悪いことをすると、「それは良かった」と賛成して喜ぶ人もいる。その人は、賛成行為で、悪業に参加しているのです。例えば、アメリカ軍隊はアフガニスタン、イラクを爆撃しましたが、「その行為は正しい」と認めると、アメリカ軍人が犯した罪に参加したことになるのです。イラクに自爆テロ行為があると、「イラク人は自分の国を守るためにそれしかないでしょう」と言うのはいいですが、気持ち的に賛成すると、自分がその悪業に賛成したことになるのです。業は物質的な働きではなく心の働きなので、このようになるのです。先祖供養、回向なども成り立つのは、この理由があるからです。 「過去は無始なる」と説かれており、一人ひとりの生命の過去は無限だと言えます。そうなると、過去の業の量も無量無限になるのです。実際に結果を出して機能しているのは一個二個ぐらいの業なのですが、環境のせいで眠っている過去の業が起きて機能する可能性は、確実にある。例えば、国の経済状態が悪くて栄養失調で悩んでいる人に、来日するチャンスが来たとする。その人は、日本にいる間は、栄養満点の食事を摂ることができるようになるのです。その人は、たちまち豊になったのではなく、環境のせいで一時的に幸福になったのです。しかし、それも過去の業の結果なのです。


平和な日本の福岡県に香田証生さんが生まれたのです。幸福で寿命を全うできる環境なのです。彼がイラクに行ったのです。イラクの環境はとても危険で、戦争状態です。そちらでテロに遭遇して亡くなられたのです。この場合も、眠っていた無量無限の業の一個が起きたのではないかと推測できます。もし、彼が日本を発たなければ、今も幸福で元気でいたことでしょう。ですから、他人の業が自分に降りかかるのではなく、生きる環境によって、周りの人々と似た自分の過去の業が起きるのです。不幸が連続するときは、環境を替えてみることも、良い智慧です。


【記事の作成にあたっては、日本テーラワーダ仏教協会ホームページ「法話と解説 ジャータカ物語」を使用させて頂きました。法話と解説No.75(2006年3月号)ローサカ・ティッサ長老物語Losaka jātaka(No.41) https://j-theravada.com/jataka/jataka075/ https://j-theravada.com/jataka/jataka076/ 監修 :アルボムッレ ・スマナサーラ長老 編集 早川瑞生】

bottom of page