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030. Muṇika jātakaムニカ

 昔々、バーラーナシーという町で、ブラフマダッタ王が国を治めていました。その頃、ある村にはマハーローヒタ(大赤)と名付けられた牛が住んでいました。彼は地主の家に住んでおり、運搬の仕事を手伝っていました。さらに、チュッラローヒタ(小赤)という名前の弟牛も一緒に暮らしていました。この兄弟の牛たちのおかげで、家の仕事はどんどん増えていきました。

 その地主の家には若い娘がいました。彼女は都会に住む良家の息子と結婚したいと願っていました。両親は、娘の結婚式の際に来客たちにご馳走を出すために、ムニカという名前の豚を飼っていました。ムニカは毎日ミルク粥を食べて育てられていました。

 弟牛のチュッラローヒタは疑問に思いました。「なぜ僕たちは草やわらしかもらえないのに、ムニカはミルク粥を食べているんだろう?」兄牛は答えました。「チュッラローヒタよ、ムニカの食べものを羨んではいけません。あの豚は死ぬ前の最後のご馳走を食べているのです。娘の結婚式の日に、来客たちに提供する料理になるのですよ。もうすぐその日が来るでしょう。そのとき、ムニカは引きずられて豚小屋から出され、料理にされることを見ることになるでしょう。」と言って、次のような詩を唱えました。

 死ぬ前の食べ物を食べている豚を羨ましがってはいけません。
 代わりに、謙虚に籾殻を食べることが大切です。
 これは長寿のしるしでもありますよ。

そして、その後、家の人々はムニカを捕まえ、さまざまな方法で料理しました。兄牛は弟牛に尋ねました。「ムニカを見たかい?」チュッラローヒタは答えました。「兄さん、ムニカの最後の食べものを見ました。でも、僕たちの草やわらと籾殻の方がずっと良いものです。それは長寿のしるしでもありますよ。」

物語の教訓
選り好みせず、謙虚に生きることが大切です。

030. Muṇika jātakaムニカ


【現在の物語】

 この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、豊満な娘の誘感について語られたものです。

サーヴァッティのある家に十六歳の美しい娘がいました。その娘の母親が、娘の婿として相応しい、道徳的で人格的に優れた若者を希望していました。そこで、比丘ひとりを誘惑し還俗してもらい、彼に頼って暮らしていこうと考えました。


まずは三蔵教師や論蔵師、律蔵師に目をつけ、ご馳走を作って待ち構えていましたが、彼らはいつも大勢のグループで行動しているため、誘いかける機会さえも見つけられませんでした。丁度その頃、ある若者が三法に帰依して出家していましたが、比丘戒を受けた時期(二十歳)から、彼の修行に対する真剣さが薄れてきていました。彼が、髪や衣や身なりを整えて鉢もピカピカに磨き上げてやってきたのが、彼女の母親の目に止まりました。


母親は彼にご馳走して、家に毎日托鉢に来てくれるよう頼みました。彼が母娘と非常に親しくなったところで、「我が家には十分財産があるのに、守ってくれる息子も婿もいない」という母親の泣き言も聞かされるようになりました。


そして母親は娘に、「この比丘に気に入られるよう振舞いなさい」と言いました。彼女も自分の美しさと女らしさで、自分の魅力が彼の頭に焼き付くようにしました。


やがて彼は出家生活に対して悩み始め、修行もおろそかになりました。お釈迦さまが彼を呼んで訊いたところ、豊満な娘の誘惑によって修行が嫌になっていることを認めました。


お釈迦さまは、「比丘よ、かの娘はそなたに不利益をなす者です。前世においてもそなたは、かの娘の婚礼の日に生命を奪われ、大勢の人々のご馳走の品となったのです」と言って、過去のことを話されました。


【過去の物語】

 その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩はある村で、一人の地主の家において牛の胎内に宿り、マハーローヒタ(大赤)と名づけられました。彼には、チュッラローヒタ(小赤)という名の弟がいました。この二頭の兄弟牛のおかげで、その家の運搬の仕事は増えていきました。


ところで、その家には一人の娘がいました。彼女は、都に住むある良家の主人から、自分の息子の嫁に欲しいと望まれていました。彼女の両親は、「娘の婚礼の際に、来客たちのご馳走の品にしましょう」と、ムニカという名の豚にミルク粥の食事を与えて飼っていました。


それを見て、弟牛のチュッラローヒタは、兄に尋ねました。「この家の運搬の仕事は増えているけれど、それは僕たち二人の兄弟のおかげで増えているんだ。だのにこの僕たちには草やわらをくれるだけで、豚はミルク粥の食事で飼っている。どういうわけであいつは、あんなご馳走を貰うんだろう。」


そこで兄は彼に、「なあ、チュッラローヒタよ。おまえはあいつの食べものを羨んではいけないよ。あの豚は、死ぬ前の食事をとっているんだ。娘の婚礼の際に来客たちのご馳走の品にしようと、この家の人たちはあの豚を飼っているんだよ。もう何日か経ったら、その人たちが来るだろう。そのときあの豚が足を掴まれて引きずられ、豚小屋から追い出されて殺され、来賓たちが食べる料理にされるのを、おまえは見るだろう」と言って、次のような詩句を唱えました。


死に際の食べものを食べている豚を

羨んではならない

選り好みをせず籾殻を食べよ

これは長寿のしるしである


それからまもなくして、かの家の人たちがやって来て、ムニカを捕らえ、いろいろなやり方で料理しました。


菩薩である兄牛は、弟牛に聞きました。「おまえ、ムニカを見たかい。」チュッラローヒタは答えて、「兄さん、ムニカの食べものの結末を、僕は見たよ。あいつの食べものより百倍も千倍も、ぼくたちの草とわらと籾殻だけの方が上等で、咎がなく、長寿のしるしだね。」


【現在の物語と過去の物語のつながり】

 お釈迦さまは、「比丘よ、このようにそなたは、前世にあってもこの娘のために生命を奪われ、大勢の人々のご馳走の品となったのです」と、この説法を取りあげ、四聖諦を明らかにされました。四聖諦の説法が終わったとき、恋情に悩んでいた比丘は、預流果の境地に到達しました。

また、お釈迦さまは、過去を現在にあてはめられました。そのときのムニカという豚は恋情に悩んでいた比丘であり、地主の娘は比丘を誘惑した豊満な娘、チュッラローヒタはアーナンダ、そして、マハーローヒタは実にわたくしであった」と。


【この物語の教訓】

 比丘を誘惑して還俗させるのは、仏教徒として罪になるのではないかと疑問に思われるでしょう。わが子の幸福を考える両親は、愛着のせいで善悪の判断もつかなくなる可能性もあります。悪いことをしてでもわが子を幸福にしてやりたいと考えるのは、ごく当たり前の親の愛情です。しかし愛情という感情だけで行動すると、罪まで犯す可能性もありますので、仏教では、「慈しみ」「哀れみ」は良いのですが、「愛着」「愛情」などは悪いといっているのです。


生きることは、楽な仕事ではありません。しかし一般的に人は皆、楽に贅沢な生き方をしたがるのです。苦しい仕事も、難しいことにチャレンジすることも嫌がるのです。幸福になりたいという希望が頭にこびり付いていますが、「幸福とは何か」ということは理解していないのです。思う存分贅沢をして、やりたいことをやって、自由奔放に生きることが出来れば幸福だと思い込んでいるのです。でも実際に、我々にはそのような生き方を実現出来るものでしょうか。いくら財産に恵まれても、苦しみは他の側面から攻撃してくるのです。


人間の世界では、「幸福」という思い込みに陥って贅沢に耽り、怠けて、だらだらと生きている人々もいるのです。真剣に真面目に努力しながら生きている人々の中にも、このだらだらして生きている人々のことを羨ましがる気持ちがあるかもしれませんが、その羨望は危険だと思います。勉強するべきときに苦労して勉強しないで、いざ試験が迫ってきても徹夜して頑張ることさえせず、仕事に就いても真剣に励まないで、怠けたりふざけたり遊びほうけたりする人々もいます。しかし彼らの「楽しみ」は束の間のもので、結局は一生不幸な人間で過ごすことになります。


地道にこつこつと生きることこそが、幸せな生き方です。


【記事の作成にあたっては、日本テーラワーダ仏教協会ホームページ「法話と解説 ジャータカ物語」を使用させて頂きました。No.26(『ヴィパッサナー通信』2002年2号)豚のご馳走の話Muṇika jātaka(No.30)https://j-theravada.com/jataka/jtaka026/ 監修 :アルボムッレ ・スマナサーラ長老 編集 高橋清次】

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