top of page

025.Tittha jātaka水浴場

《あらすじ》
 その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩(ぼさつ)は王に実利(じつり)と道理(どうり)について教える廷臣(ていしん)となっていました。

 あるとき、馬の世話をする馬丁(ばてい)たちが、王の位を正式に象徴する吉祥馬(きっしょうば)の水浴場(すいよくじょう)で、別の調教(ちょうきょう)をしていない若馬を水浴させました。その後、吉祥馬は、この若馬が水浴した水浴場に嫌がって降りようとしませんでした。馬丁はこのことを、王に報告しました。「王さま、吉祥馬が水浴場に降りようといたしません。」

 王は菩薩である廷臣に、「賢者よ、どういうわけで、馬が水浴場に降りないのか、行って見てくるように」と言いました。廷臣は、川岸へ行き、馬を調べて病気ではないことを知りました。彼は、「先にここで他の馬が水浴させられたのに違いない。それできっと、こいつは嫌がって水浴場におりないのだ」と思いあたりました。

 廷臣は、この水浴場を清めて再び使うより、他の水浴場で水浴させればよいと考え、馬丁たちに「これ、馬丁よ、吉祥馬は、何回もこの水浴場で水浴したので、飽きているのだ。他の水浴場へ、吉祥馬を降ろして水浴させ、水を飲ませなさい。美味しいミルク粥も、繰り返し食べれば、飽きるのと同じようなものだよ。」と言って、つぎの詩を唱(とな)えました。

 それぞれ別の水浴場で
 御者よ、馬に〔水を〕飲ませよ
 人(も)、食べすぎれば
 ミルク粥に飽きるのだよ

 廷臣は、吉祥馬が水を飲み、水浴しているうちに、王のもとへ戻って行き「こういう事情であります」と、すべてのことを説明しました。王は、「この者はそのような畜生(ちくしょう)の意向すら知っている。まことに賢者だ」と、廷臣に大きな栄誉を与え、やがて寿命が尽きると、業に従って生まれかわって行きました。廷臣も、業に従って生まれかわって行きました。

025.Tittha jātaka水浴場

【現在の物語】  この物語は、釈尊がジェータ林におられたときに、法将サーリプッタ長老の弟子で、かつて金細工職人をしていた一人の比丘について語られたものです。

 他人の意向と随眠煩悩を分別する智慧(アーサヤ アヌサヤ ニャーナン)は、仏陀たちにのみあるもので、他の者たちにはありません。

 サーリプッタ長老には、他人の意向と随眠煩悩を分別する智慧がなかったため、その弟子の性格や気質が解らず、不浄の観想法ばかりを指導しました。しかしそれは、この弟子にはふさわしくありませんでした。なぜかと言えば、彼は五百の生涯にわたって次々と金細工職人の家にだけ生を享けたので、彼には長いあいだ清浄な金を見ることだけが積み重なっていたため、不浄ということがふさわしくなかったのです。それで彼は、悟るどころか不浄という本質に集中することさえできないまま、四ヵ月が過ぎました。

 サーリプッタ長老は、自分の弟子に阿羅漢果の悟りを授けることができないので、「きっとこの者は、お釈迦さまに教導して頂くほうがよいのであろう。如来のお側へ連れて行こう」と考え、朝早く彼を連れてお釈迦さまのもとへ行きました。

 お釈迦さまは、「サーリプッタよ、何故あなたはその比丘を連れてきたのですか」と尋ねられました。「尊師よ、私はこの者に観想法を授けましたが、四ヵ月たっても、悟りの兆しさえあらわしませんでした。そこで私は、『この者は、お釈迦さまに教導して頂くほうがよいのであろう』と考え、お釈迦さまのお側へ連れてまいりました。」「ところで、サーリプッタよ、あなたは、どのような観想法を弟子に授けたのですか。」「世尊よ、不浄の観想法でございます。」「サーリプッタよ、あなたには生きとし生ける者の性格や気質を知る能力がありません。あなたは行きなさい。そして夕刻に戻って来れば、あなたの弟子を連れて帰ることが出来るでしょう。」

 こうしてお釈迦さまは長老を送り出してから、その比丘に快適な住居と法衣を与えさせ、托鉢に出掛けるときも彼を特別に連れて行きました。そして頂いた美味のご馳走を彼に食べさせました。大勢の僧団の比丘たちを従えてふたたび僧院へ戻られたお釈迦さまは、昼休みに入られました。夕刻になって、その比丘を連れて僧院を散策されているとき、マンゴー林に一つの蓮池を神通力で出現させ、その中に大きな美しい一叢(むら)の蓮を、さらにその中にひときわ目を引く大きな一本の蓮の花を出現させました。そして、「比丘よ、こちらに座ってこの花を鑑賞しなさい」と言ってから、居室に戻られました。

 その比丘は、この花を繰り返し見つめていましたが、世尊はその花を萎れさせました。蓮の花は、彼が見ているうちに、萎れ、色褪せてしまい、その縁のほうから花弁が落ち、瞬く間にみな落ちてしまいました。それから、おしべが落ち、めしべだけが残りました。比丘は、それを見ながら考えました。「この蓮の花は、たった今美しく見栄えがしていたのに、その色は衰え、花弁とおしべが落ち、めしべだけになった。このような蓮にも老いが来るというのに、私の身体にどうして老いが来ないことがあろうか」と。そして、「形成されたものは、すべて無常である」とありのままに観るヴィパッサナーへと心が辿り着きました。

 お釈迦さまは、彼の心がヴィパッサナーに辿り着いたことを察知され、居室に坐ったまま、この詩句を唱えられました。

 秋の蓮を手折るように  自己への愛着を断ち切れ  仏陀の説かれた平安の道へ  涅槃へ進め

 詩句が終わると、この比丘は、阿羅漢果の悟りに到達し、「ああ、私は輪廻から脱出した」と確信し、その喜びを次のような詩句によって発しました。

 修行を終えた彼の心は満たされている  煩悩が尽き  最後の身体を持っている

 戒は清浄になり

 感官は落ち着いている

 月触(陰、ラーフ)から抜けでた

 月のように

 無明の巨大な暗闇を消し去り

 すべての汚れを余すことなく根絶した

 数千の光線を放ち

 天空に輝く太陽のごとく

 己の心は輝いている

 その比丘は世尊に礼拝しました。サーリプッタ長老も戻って来て釈尊に礼をし、自分の弟子を連れて帰りました。やがてこの出来事が、比丘たちのあいだに知れわたりました。比丘たちは講堂で、「十の力をもつ人」のすぐれた特質を次のように賞賛しながら坐っていました。「友らよ、サーリプッタ長老は他人の意向と随眠煩悩を分別する智慧がなかったので、自分の弟子の性格や気質を知らなかった。ところが、師はたった一目でそれを知り、彼を、特別な能力を具えた阿羅漢の境地に導かれた。ああ、仏陀たちは、まことに偉大な威力をもっておられるものだ。」

 するとそこへお釈迦さまが来られ、用意された座に坐り、「比丘たちよ、今どのような話のために一緒に坐っているのですか」と尋ねられました。「世尊よ、他のことではございません。世尊が、サーリプッタ長老の弟子の性格や気質を知られたことについての話のためでございます」と比丘たちが答えると、お釈迦さまは、「比丘たちよ、これは希有なことではありません。この私は今、仏陀となって彼の意向を知っていますが、前世でも、私は彼の意向を知ったことがあるのです」と言って、過去のことを話されました。

【過去の物語】  その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は王に実利と道理について教示する廷臣となっていました。あるとき、王の吉祥馬(王位を正式に象徴する馬を吉祥馬と言います)の水浴場で、馬丁たちが、ある一頭の未調教の若馬を水浴させました。吉祥馬は、未調教の若馬が水浴した水浴場に降ろされかけても、嫌がって降りようとしませんでした。馬丁は行って、王に報告しました。「王さま、吉祥馬が水浴場に降りようといたしません。」

 王は菩薩である廷臣に、「賢者よ、どういうわけで、馬が水浴場に降ろされかけても降りないのか、行って見てくるように」と言って遣わしました。廷臣は、「かしこまりました。王さま」と川岸へ行き、馬を調べて病気ではないことを知り、「いったいどういうわけで、吉祥馬はこの水浴場に降りないのだろうか」と推測していましたが、「先にここで他の馬が水浴させられたのに違いない。それできっと、こいつは嫌がって水浴場におりないのだ」と思いあたり、馬丁たちに尋ねました。「これ、おまえたちは、この水浴場でどの馬を先に水浴させたのか。」

 馬丁たちは「ある一頭の未調教の若馬(次の吉祥馬に任命される候補の馬)です。旦那さま」と答えました。廷臣は、「この馬は、自尊心が高いから、嫌がって、ここで水浴しようとしないのだ。この水浴場を清めて再び使うより、他の水浴場で水浴させればよい」と言いました。さらに吉祥馬の意向を知って、「これ、馬丁よ、バター油や蜂蜜や糖蜜でこしらえたミルク粥も、繰り返し食べれば、飽きるものだ。吉祥馬は、何回もこの水浴場で水浴したので、飽きているのだ。他の水浴場へ、吉祥馬を降ろして水浴させ、水を飲ますがよい」と言って、つぎのような詩句を唱えました。

 それぞれ別の水浴場で

 御者よ、馬に〔水を〕飲ませよ

 人(も)、食べすぎれば

 ミルク粥に飽きるのだよ

 彼らは、廷臣に言われた通り、吉祥馬を他の水浴場に降ろし、水を飲ませ、水浴させました。廷臣は、吉祥馬が水を飲み、水浴しているうちに、王のもとへ戻って行きました。王は、「のう、吉祥馬は水浴し、水を飲んだのか」と尋ねました。廷臣が「はい、王さま」と答えると、「先には、どういうわけで水浴しようとしなかったのか」と理由を問われ、「こういう事情であります」と、すべてのことを説明しました。

 王は、「この者はそのような畜生の意向すら知っている。まことに賢者だ」と、廷臣に大きな栄誉を与え、やがて寿命が尽きると、業に従って生まれかわって行きました。廷臣も、業に従って生まれかわって行きました。

【現在の物語と過去の物語のつながり】  お釈迦さまは、「比丘たちよ、私がこの比丘の意向を知っているのは、いまだけのことではなく、前世でも知ったことがある」と、この説法を取りあげ、連結をとって、過去を現在にあてはめられました。「そのときの吉祥馬はこの比丘であり、王はアーナンダ、そして、廷臣の賢者は実にわたくしであった」と。

【この物語の教訓】  他人の意向と随眠煩悩を分別する智慧(Āsayānusayañāṇaṃ アーサヤ(意向)アヌサヤ(随眠煩悩)ニャーナン(智慧))の、アーサヤは、煩悩です。


 心に棲みついているという意味で、アーサヤといいます。人の意向・性格などはアーサヤによって形成されます。煩悩は誰にでもありますが、だからといって人はみな同じということにはなりません。煩悩が性格として現われて、「個人」「個人差」というものを形成するのです。アーサヤによって、性格の表層が作られるのです。これは誰でも知っている「人の性格」というものです。

 アヌサヤは、潜在煩悩です。表面に現われることなく、心の中で随眠状態を保つのです。ですから、誰にも知り得ることはできないのです。アヌサヤは性格の深層ですが、探っても見つからない性格ですので、深層ではなく「裏層」と言った方がいいかもしれません。例えば、「まさかあの人が」というような、人の意外な行動を目にして、我々が理解に苦しむことがあります。そのときは、潜在煩悩の一部が目覚めて表層になったということです。


 仏陀は、表層に出ない限りは知り得ないこの性格も読み取るのです。この能力は仏陀に限るもので、現代心理学の方法を駆使しても、この潜在する性格を見出すことはできません。


 人の心の働きを読み取る「他心通」(para citta vijānana)は、悟りをひらいた弟子たちにもあったのです。しかし表面には一向に出てこない性格までは読めなかったのです。この智慧の力で、仏陀は人の性格に完全に合うような指導をされたのです。

 人を育てて導くことは、決して簡単な作業ではありません。腹を痛めて生んだ我が子の養育でさえ、失敗する親もこの世にいくらでもいるのです。我が子の性格でさえも、わかったものではありません。

 性格というものは、貪瞋痴という煩悩で形成されるのです。しかし普通の人間には、この三つの煩悩の理解も出来ないのです。単なる欲を向上心だと言ったり、あるいは実際は欲に走っている人を、たいへん明るくて活発な人だと言ったりする場合もあります。怒りに操られている人を、努力家、我慢強い人、改革者、英雄、などのように誤解することも多々あります。無知な人を見破れない場合もあります。そのときは、欲が少ない人、控えめの人、落ち着きがある人、という風に理解してしまうこともあります。


 貪瞋痴があらゆるかたちに無数に顔を変えて人の性格として現われます。一般的には、「性格というのは煩悩そのものである」ということが理解されていないのです。これは、煩悩のアーサヤとしての働きです。性格の核をアヌサヤと言います。全ての生命が持っている、表面に現われてこない完全に随眠状態にある性格が、その核です。性格を正しく理解しようとするならば、表層だけではなくその核も知る必要があるのですが、残念ながら我々には表層の性格もそう簡単には理解できないのです。仏陀のみが、性格の核を知る能力を持っているのです。

 このエピソードを読んで、サーリプッタ尊者が間違ったと思ってはいけません。究極のインテリタイプのサーリプッタ尊者が、論理的な結論を出したのです。「ものごとの美しい側面だけ観る能力のある人に醜い側面も観られるように訓練させれば、ものごとをありのままに観られるヴィパッサナ―の智慧が生まれる」と思ったのです。しかし、この比丘にはものごとの醜い側面を観る能力は、全く無かったのです。不浄観相法は、聞いたこともない外国語で話しかけられたようなものでした。

 お釈迦さまは、この比丘の見慣れている見方である、「ものの美しさを鑑賞する」という方向を活かして指導したのです。サーリプッタ尊者が期待していた「無常に辿り着く」ことに、いとも簡単に至ったのです。この比丘は芸術家でしたので、論理的な話にはついて行けなかったのです。お釈迦さまは、彼にきれいな衣を着せて、ご馳走を食べさせて、美しいものを見せて、精神的に落ち着いてもらったのです。彼の芸術能力を思う存分活かせるようにしたのです。性格さえ知っておけば、人を育てる、導くということは難しくはないのです。人の性格が読めないことが、我々にある、乗り越えられない難関なのです。

【記事の作成にあたっては、日本テーラワーダ仏教協会ホームページ「法話と解説 ジャータカ物語」を使用させて頂きました。No.27(『ヴィパッサナー通信』2002年3号、4号)水浴場の話Tittha jātaka(No.25)https://j-theravada.com/jataka/jataka027// 監修 :アルボムッレ ・スマナサーラ長老 編集 :高橋清次】

bottom of page